格闘技PRESSBACK NUMBER
「病院の庭で首を吊ってやろうかって…」手術は15回以上、自殺も考えた女子プロレスラーKAORUが引退へ…語った“母と長与千種への感謝”
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byMarvel Compony
posted2022/08/04 17:00
8月8日、ついに引退試合を迎える女子プロレスラーのKAORU
――お父さまが「脳梗塞で倒れていた」というのは?
KAORU 前年の末にやってしまって、入院していたんです。少し麻痺は残ったけど、元気に退院。でも、忘れもしない、6年前の1月1日に脳出血で倒れてしまって、6カ月ほど入院。退院してから、私の介護生活がはじまりました。父は当時、まだ74歳だったんですけどね。今は記憶障害があるので、覚えることが苦手。ほかの人のことは忘れちゃっても、長与さんのことは覚えてるんですよ! 今よりまだちょっと元気だったころ、車に乗せてMarvelousの道場に連れていったんですね。長与さんの顔を見ると、「おー!」って。不思議な感じでした。
手術は15回以上…“日本人初のルチャドーラ”の光と影
KAORUこと本名・前田薫(旧姓)は、長与&ライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズにあこがれて、1986年に全日本女子プロレス興業(略称・全女/05年に解散)に入団。唯一の同期は、アジャコングだ。退団後は“日本人初のルチャドーラ”として脚光を浴び、GAEAに移籍。同団体解散後はフリーに転向したが、16年に再び長与が新団体・Marvelousを興すと、発足メンバーに名を連ねた。
冒頭の弘子さんの「拾ってくださって」の理由は、ここにある。
身体にメスを入れた回数はゆうに15回を超え、とかく怪我に悩まされた。
GAEA解散興行(05年4月10日、後楽園ホール)を2カ月後に控えた試合中、左大腿骨転子部を骨折。ドクターストップがかかり、ファイナル興行をセコンドで見届けた。11年春、「動けるうちに引退」という美学を貫くために、引退を決意。発表する予定だった3月のOZ後楽園大会が、東日本大震災によって中止。「この試合が終わったら……」と決めて立った4月の新宿大会で、踵骨を折った。
昨年、デビュー日であり、夫との入籍日でもある「8月8日」に後楽園ホールで引退することが決まった。ところが、7月19日の後楽園大会でラダーから落下して、右膝の脛骨近位端と右足首の脛骨遠位端を骨折。ファイナルゴングを2度も聞き逃したが、今年8月8日に復帰。引退試合となる。
KAORU 去年の後楽園大会後は、すぐに病院に。「腫れが引かないと手術はできない」とお医者さまから言われて、お家に帰ると、味わったことのない痛みに襲われました。以前にやった前十字靭帯断裂、踵のとき以上。ここまでくるともう、何がどうなってるのかわかんない(苦笑)。