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「病院の庭で首を吊ってやろうかって…」手術は15回以上、自殺も考えた女子プロレスラーKAORUが引退へ…語った“母と長与千種への感謝”
posted2022/08/04 17:00
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Marvel Compony
長与千種に向かってKAORU(Marvelous所属)の母・弘子さんは、「この子がいつ死んじゃうか、不安でした。拾ってくださって、ありがとうございます。いつも助けてくださって、ありがとうございます」と、何度も頭を垂れた。2014年4月、すでに現役を退き、東京・湯島でカラオケパブを経営していた長与のもとを、KAORUが弘子さんを連れて訪れたときのことだ。そこで目にしたのは、母の深い礼と、大粒の涙だった――。
1カ月前の3月22日、KAORUは大田区総合体育館で復帰した。3年ぶりのリングだった。晴れ舞台を整えたのは、長与。すでに経営者として第二の人生を歩んでいたが、94年にみずから設立したGAEA JAPANに、解散(05年)まで添い遂げた唯一の後輩のために、ひと肌脱いだ。
運命の歯車が狂った試合
KAORUはGAEA解散後、フリーでOZアカデミーに参戦。運命の歯車が狂ったのは11年4月10日、新宿FACE大会だった。尾崎魔弓、アジャコングとの3WAYマッチで、踵骨を骨折。オペは成功したが、血液異常によって再入院。5月、感染症による骨髄炎と診断され、1年間の3分の1を病床に伏した。
弘子さんが愛娘の死を案じたのは、この期間だった。
KAORU いちばんきつかったのは、退院して、お家にいるときかな。前の年(10年)に父が脳梗塞で倒れていたので、家をあけるのが嫌だったんですけど、でも結局、病気をしてしまって、部屋にいることしかできなくなった。やることがない。ただ、いるだけ。寝るときに、このまま朝が来なければいいなと思っていたし、友達から「毎日何してんの?」って聞かれることも、いつしか苦痛に……。腫れ物にふれるような扱いになって、離れていった人も多かったです。
「病院の庭で首を吊ってやろうかって…」
――なぜ、そこまで落ちたんですか?
KAORU 先が見えなかったからです。治るのか、わからない。歩けるようになるのかも、わからない。絶望したんですね。院内で感染症にかかったとき、絶対に病院サイドに非があった。それを何度も言葉にしたけど、絶対に認めてもらえなかった。じゃあ、病院への恨みつらみを遺書に書いて、病院の庭で首を吊ってやろうかって、そんなことを考えたこともありました。でも、母親がいるから死ねないなぁと。
――弘子さんの存在は大きかったと。
KAORU その前、GAEA時代から私は怪我が多かったんです。入院すると母が必ず病院に来てくれて、車椅子を押してくれる。外の空気を吸いに行かせてくれるんですね。ほんっとに迷惑をかけてきた。自分が車椅子を押されるような年齢のとき、娘の車椅子を押させてしまった。それは、ずっと心にありました。「すいません。申し訳ないです」って周囲に何度も頭を下げながらね、(車椅子ごと)エレベーターに乗せてくれるんですよ。私のせいで何度も頭を下げさせたことが、ほんとに悔やまれる。