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武尊30歳が明かす「(天心戦で)負けた瞬間は“引退しよう”って思ってました」それでも休養を選んだ本当の理由《単独インタビュー》 

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2022/06/29 17:04

武尊30歳が明かす「(天心戦で)負けた瞬間は“引退しよう”って思ってました」それでも休養を選んだ本当の理由《単独インタビュー》<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

那須川天心との一戦を終えた武尊に、現在の心境などについて聞いた単独インタビュー

「楽しく格闘技ができた最後の試合はいつでしたか?」

 筆者が武尊に初めてインタビューしたのは2013年のこと。Krushのベルトを巻く少し前だ。その時から「スターになりたい」と言っていた。そのために故郷の鳥取県から上京してきた。田舎では夢を持つこと、夢を叶えるために頑張ることに消極的な人も多い。そんな風潮を変えたいとも語っていた。

 Krushが発展する形で新生K-1ができると、-55kgの初代チャンピオンに。初防衛戦に向けたインタビューでは、こんなことを言っている。

「いろんなメディアに出ることで、格闘技を見る人が増えてくれればいいなって。それも僕の役目だと思ってます。どんどん有名になりたい」

「ガツガツ殴り合ってKOを狙うっていう。そこが僕の“担当”なんだと思ってます。メディアに出て、派手な試合をして人を集める担当」

「野球、サッカーにも負けたくないですよね。野球選手より稼いで、サッカー選手よりモテたい(笑)。そういうのも夢があるじゃないですか」

 それは単なる夢ではなく、飢餓感、危機感でもあった。K-1のアンディ・フグに憧れて格闘家を目指した武尊がプロになる頃、旧体制のK-1が活動を停止。自分たちの舞台であるKrushを盛り上げようと必死だった。その甲斐あって新生K-1がスタート。ベルトを巻いて「この場所を失うわけにはいかない。もっと大きくしなければ」という思いも出てきた。

 負ける恐怖に、K-1王者としての責任感。休養を発表した会見の後、武尊に聞いたのは「楽しく格闘技ができた最後の試合はいつでしたか」ということだ。最初にK-1のベルトを巻いた時だと彼は答えた。

満員のドームに涙…背負い続けた重圧

「K-1のチャンピオンになって“自分は負けちゃいけない存在なんだ”って。そこで何か変わりましたね。好きなものを全力でやるっていう感覚ではなくなりました。これからは責任感をもって、重圧を感じながら生きていくんだと」

 そうやって苦しみながら生きて、勝ち続けて、関係者に働きかけるなど自ら動いて実現させた那須川天心戦で、東京ドームのチケットが即日完売になった。観衆は5万6399人、同会場で最大級の観客動員だった。那須川との闘いで、武尊はかつて憧れたヘビー級のK-1に負けないファンを集めたのだ。

 オープニング・セレモニーでリングに上がり、ぎっしり埋まった客席を見て武尊は感極まった。控室に戻りながら泣いてしまったという。ヘビー級でもなく、豪華な外国人が揃うイベントでもなく、軽量級の日本人選手同士の闘いでドームが満員になった。それは、那須川と武尊がこれまで見せてきた闘いへの評価でもあったはずだ。

 結果は武尊の負けとなった。だが彼は、十分に報われた。勝っていたら得られなかったことがあった。ファンは武尊が勝つから好きなのではなかった。勝つために心も体も犠牲にする、その姿勢を愛してきたのだ。それに武尊自身がようやく気づいた。武尊とそのファンは、これからもっと幸せな関係を築けるだろう。

【次ページ】 「負けた瞬間は“引退しよう”って。なのに…」

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