- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
野村克也「新聞配達をしながら、一生貧乏と戦う覚悟をしていた…」なぜノムさんは“シダックス時代が一番楽しかった”と振り返ったのか?
text by
加藤弘士Hiroshi Kato
photograph byJIJI PRESS
posted2022/06/02 11:03
2002年11月~2005年11月まで3年間、シダックス野球部監督を務めた野村克也。写真は2003年、都市対抗野球東京代表決定戦の祝勝会で沙知代夫人と
「人間、お金が絡まないとこんなに純粋になれるもんなんだな。プロの世界の人間とは、目が違うんだ。本当にいい目をして、俺の話を聞いてくれるんだよ」
あの頃、何とか野村に食らいつき、その教えを吸収しようと奮闘してきた男たちは今、アマチュア球界の各所に根を張り、「ノムラの考え」を若き世代へ伝えている。
千葉・中央学院高校監督の相馬幸樹は2017年に秋季関東大会で優勝し、明治神宮大会に出場。翌2018年には春夏連続で甲子園への出場を成し遂げた。アルプス席の吹奏楽部がシダックスのオリジナル応援曲「シダックスファイヤー」を奏で、挑戦を彩った。
「野村さんに教わったということは、自分の人生で東大を卒業したぐらいの価値があると思っています」
黒坂洋介が監督を務める埼玉・昌平高校は2021年秋のドラフト会議で、同校初のプロ野球選手が生まれた。野村が最後に監督を務めた楽天から1位指名されたのは強打の外野手・吉野創士。担当スカウトの沖原佳典は野村が阪神監督時代、「F1セブン」と命名して売り出した内野手だった。GM兼監督として「吉野1位」を決断した石井一久もまた、野村がヤクルト時代に手塩にかけて育てた投手である。
「野村監督もよく言っていましたよね。『縁に始まり、縁に終わる』と。吉野たちにはよく話しているんですよ。『お前たちは、野村監督の孫弟子だからな。いつか次の世代にこの教えの灯火を繫げていってくれ』って」
『漫画でもいいから本を読め』
主将だった松岡淳は兵庫の野球専門学校・関メディベースボール学院の監督として、野球を諦めない若者たちを鍛え抜き、独立リーグや社会人チームへと送り出している。
「OB会で野村監督に『野球の指導をしています』と話したら『ちゃんとよく選手を見てやれよ。人を生かしてやることが大事だからな』と仰ってくれて。それを大切に教えていきたいですよね」
野村から後任監督を託された田中善則は、東京都立川市の昭和第一学園高校で指揮を執る。部員たちには「ノムラの考え」を特集した新聞記事のプリントを配り、リーダー論や組織論を説いた上で、感想を記すことを求める。
「野村監督は、『漫画でもいいから本を読め』『活字に触れろ』と、そこには厳しかったんです。今はスマホで調べて終わっちゃう時代。でも読んで、考えて。社会に出たときに『野村監督の言葉にこんなのがあったっけな』と思い出してもらえたら、うれしいですよね」
正捕手だった坂田精二郎は2013年4月に母校・立正大の監督へと就き、2018年の明治神宮大会では大学日本一に導いた。オフシーズン、寒風の中で鍛錬に勤しむ選手たちを、こう励ます。
「せっかく好きな野球をやるんだ。嫌々やってもしょうがないよ。楽しくやろうぜ!」
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とす」
生前の野村が口癖のように話していた言葉だ。
野村はシダックスの3年間で人を遺した。彼らは野村の言葉を胸に未来を切り拓いた。そして今、次世代へと新たに人を遺すべく、現場でノックバットを握る。
(※文中、所属・肩書きは2022年3月時点のものです)
<前編から続く>