- #1
- #2
格闘技PRESSBACK NUMBER
“右目を失明しながらヒクソンと対戦した男”中井祐樹はなぜ憧れていたUWFと決別したのか?「真剣勝負にキャメルクラッチはありえない」
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2022/05/13 17:01
『VALE TUDO JAPAN OPEN 1995』決勝でヒクソン・グレイシーと対戦。同試合に至る経緯は増田俊也氏の著書『VTJ前夜の中井祐樹』に詳しい
「七帝ルールではないので、負けても仕方ないと思っていました。だから自分も全国大会に出られることを知ったときには『エッ、俺も行けちゃうの?』という驚きしかなかった」
まさかの全国大会で、中井は関西の選手を相手に初戦(2回戦)を突破する。試合時間は5分。北海道での予選と比べると1分増えた。その1分の差が「地獄だった」と振り返る。
「技ありをとって、残り1分はそのポイントを死守する感じです。もうコインランドリーの洗濯物状態といっていいほどあおられたけど、なんとか勝つことができました」
「自分の寝技は世界一強いと思っていた」
技ありをとったのは得意の寝技だったが、ショッキングな出来事もあった。抑え込みを決めながら、途中で逃げられてしまったのだ。中井は「恥ずかしい話ですけど」と前置きしながら、「正力杯に出るまで、自分の寝技は世界一強いと思っていた」と打ち明けた。
「にもかかわらず、相手が講道館ルールの全国レベルだと逃げられてしまうのか、と改めて驚きました」
このとき、中井はまだブラジリアン柔術の存在を知らない。寝技といえば、七帝柔道のそれが全てだった。その一方で、投げ技にはさして興味を示していない。日本武道館でのウォームアップ中、中井は他の選手との打ち込みのレベルの差に愕然としたという。
「全国レベルの打ち込みを目の当たりにした瞬間、『おいおい、冗談だろ』と。本当に大人と子供ほどの差を感じたんですよ」
柔道の世界では、立ち技は才能を必要とする一方で、寝技は努力さえすればある程度のレベルにまで到達すると言われている。中井は北大柔道部を「初心者が大半で、七大戦で勝つために一生懸命練習量を積み重ねている涙ぐましい部」と形容した。
「僕の代もそうで、半分以上は白帯だった」
中井は「自分がすぐ一番強くなるだろう」と楽観視していたが、その目論見はもろくも崩れた。
「僕らの代は強い奴がいっぱいいた。人生、そう簡単に思い通りにはいかないというのは、逆にいいことだと思いましたね(笑)」
肝心の七大戦は、大学2年生のときから出番が回ってきた。YouTubeには、3年生のときの中井が決勝で九州大の選手と闘う雄姿がアップされている(結果は準優勝)。そして迎えた4年生。中井は公約通りに北大を七大戦優勝へと導いた。
何もないなら“職人”になるしかない
中井が修斗と初めて直接の接点を持ったのは、大学3年生を迎える春に行なわれた合宿のときだった。
「そのときは東京在住の北大OBに呼んでもらう形で遠征をしたんですよ。せっかく東京にいるんだったら、(当時東神奈川にあった)スーパータイガージムを見ていこう、と思ったわけです」