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アントニオ猪木vsモハメド・アリは「世紀の茶番劇」だったのか? 酷評の裏で芽生えた“不思議な友情”「アリは俺と2人だけの時は…」 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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photograph byEssei Hara

posted2022/04/21 17:02

アントニオ猪木vsモハメド・アリは「世紀の茶番劇」だったのか? 酷評の裏で芽生えた“不思議な友情”「アリは俺と2人だけの時は…」<Number Web> photograph by Essei Hara

 この日、猪木はアリにボクシングをさせないことを選択した。そのため試合でアリのボクシングを見ることはできず、非難は一方的に猪木に向けられ、約18億円とも言われた借金を背負うことにもなった。

アリ「あんな怖かった試合はなかった」

 猪木とアリの試合は、本人たちしかわからない真剣なものだった。その後、アリと猪木が友人になれたのは戦いが真剣であり、それを互いが認め合ったからである。

 これは猪木本人から聞いた話だ。後にアリは猪木と会った時、「あんな怖かった試合はなかった。お前はどうだったんだ?」と聞いてきたという。

 アリが怖かったように、猪木も怖かっただろう。この一戦の実況を担当したテレビ朝日の舟橋慶一アナウンサーはハブとマングースのような戦いと形容した。一瞬が運命を左右する。そんな緊迫感が試合中、続いていた。

 この戦いが再評価されるのは、それから40年も経ってからだった。アリ自身のボクシングの戦績に、このエキシビションマッチ扱いの猪木戦は入っていない。しかし、その内容はいわゆるエキシビションではなかった。

 アリのボクシング人生は、猪木と戦ったために大きく変わった。アメリカという国家と戦った時と同じように。アリは猪木に蹴られたことが原因で歩けなくなってしまった。

 専属のドクターはアリに早期の治療を提言したが、本人はその助言を聞かずに東京の後、韓国やフィリピンへ行くスケジュールを優先した。 

 さすがのアリも帰国後、左足の痛みに耐えきれずにサンタモニカの病院に入った。血栓ができて左足がダメになるとまで言われ、予定されていたケン・ノートンとの防衛戦もキャンセルした。

 当時、この試合にどんな評価が下されたとしても、世界的な注目を浴びて、実際に行われたことは事実である。アリにとっても猪木にとっても忘れられない戦いになった。

 猪木によると、アリはこうも言ったという。

「友情を説明するのは難しい。学校で学ぶことじゃない。でも、友情の意味を知らないなら、何も学んでいないことになる」

【次ページ】 「アリは俺と2人だけになった時は喋るよ」

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