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15年前、原巨人はなぜ上原浩治を“守護神”に指名したのか? 試運転のつもりが、驚異の32セーブ…制球力はメジャー時代を上回っていた 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/04/07 06:00

15年前、原巨人はなぜ上原浩治を“守護神”に指名したのか? 試運転のつもりが、驚異の32セーブ…制球力はメジャー時代を上回っていた<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2007年に上原浩治が挙げた32セーブは当時の球団新記録。20勝を挙げて、30セーブを記録した投手は江夏豊に次ぐ史上2人目の快挙だった

 続く08年、上原は先発に戻ったが開幕から4連敗を喫し、一時は二軍行きを命じられる。上原は、原巨人の特質はドラフトとFA補強によって豊富な陣容を構築したうえで、内部の競争力を高めることにあるという。

「実績よりも、実力優先主義ですよね。いい選手を集めて競争をさせれば、チームは強くなる。プロのチームは、人柄でレギュラーが取れるわけじゃありませんから、とにかく結果を出さなければいけない。原さんは『アメとムチ』の使い分けがハッキリしていました。こう言ってしまうとネガティブな印象があるかもしれませんが、これは結果を求められるプロでは当たり前のことです。どれだけ実績を積み重ねていたとしても、開幕から白星がなければ、二軍に落とされるのは当たり前。それに取って代わる選手も巨人にはいましたし。原さんはプロの世界は結果がすべてという、当たり前のことを徹底し続けています。だから、巨人は安定した成績を残せるわけです」

「原さんは変わっていない」

 その後、上原は18年に巨人に復帰すると、2年目の19年には三たび、原が監督として巨人に戻ってきた。が、上原はシーズン途中の5月20日に引退を表明する。

「結果的に、プロ入りしてから、引退するまで関わったのは原さんだけです。20年分、原さんも僕も歳を重ねたわけですが、原さんは変わってない。若々しいままだし、対話路線も変わっていないでしょう。いまはグラウンドのことだけでなく、編成面も含めて理想のチームを作ろうとしているんじゃないでしょうか。球団内でそれだけの実績を積み重ねてきたと思いますから」

 第3次政権がスタートして、セ・リーグでは連覇を達成しているが、日本シリーズではソフトバンクの前に2年で8連敗と、歯が立たない。

「どうやったら日本一になれるのか、必死に考えていると思いますよ。セ・リーグのDH制導入についても積極的に発言しているのは、セ・リーグを活性化するというか、野球界を盛り上げていくための方法を考えているからでしょう。原さんは昔も今も、野球が日本のナンバーワンスポーツであり続けるため、使命感を持ってユニフォームを着ているはずです」

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