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ワリエワ騒動で話題 …“鬼コーチ”エテリ「泣き出す生徒は数え切れない」それでも全国から生徒が集まるのはなぜ?〈ロシア強豪クラブを潜入取材〉
text by
栗田智Satoshi Kurita
photograph byGetty Images
posted2022/02/19 11:05
メドベデワ、ザギトワなどロシアの強豪選手たちを育ててきたエテリ・トゥトベリーゼ。拠点となる強豪クラブ「サンボ70」とはどんな施設なのか?
翌'09年にはユリア・リプニツカヤが門を叩く。当時10歳のリプニツカヤはジャンプが弱く、まだすべての3回転ジャンプを跳べないような状態だったが、トゥトベリーゼの指導のもとでめきめきと力をつけ、すぐにトップ選手の仲間入りを果たした。'14年の欧州選手権優勝でソチ五輪代表の切符を手にすると、本番では団体戦金メダルの原動力となり、一躍国民的大スターに。連日メディアで取り上げられ、彼女を育てたトゥトベリーゼの名も広く知れわたった。
当時の様子をフルスタリヌィ副部長のエドゥアルド・アクショーノフ氏が振り返る。
「あの頃のフィギュアスケート人気の過熱ぶりは異常でしたね。子どもに習わせたいという問い合わせが殺到し、連日対応に追われました。毎年180名の定員で新規生徒を募集するのですが、申し込み日には長い行列ができ、前日の晩から車に泊まり込む親御さんが大勢出たほどです」
ザギトワも上京「エテリ先生のところでもっと上を目指したい」
“リプニツカヤ効果”は競技人口の裾野を広げただけではなかった。モスクワのみならずロシア全土から才能ある生徒がフルスタリヌィに集まるようになったのだ。
「エカテリンブルクから母親とともに上京したリプニツカヤがひとつのモデルとなりました。一家総出で引っ越しをしてくることもあります。地方からわざわざ出てくるだけあって本人の決意も固く、家族のサポートも得られやすいのです」
ウラル山脈西部の町、イジェフスク出身のザギトワもまさにそのケースだ。モスクワに出てきた理由をザギトワはこう話す。
「今のモスクワの子たちは8歳くらいでもう3回転を跳びますが、私は12歳になっても3回転サルコウとループしか跳べませんでした。このままではだめだ、エテリ先生のところでもっと上を目指したいと思ったんです。それで両親のもとを離れて、モスクワの祖母のところに引っ越しました」
無名の43歳が「サンボ70」をロシア屈指の強豪クラブにした
現在、フルスタリヌィには週6日の練習生190名、週2回の練習生450名が通っている。今やサンボ70はCSKAモスクワやサンクトペテルブルクのディナモと並ぶ、ロシア屈指の強豪クラブとなった。
他のフィギュアスケートクラブとの違いをアクショーノフ氏はこう説明する。