甲子園の風BACK NUMBER
「野球部を私物化している、とよく言われました…」就任10年目、山梨学院・吉田洸二監督が親子で目指す“09センバツ優勝”の再現
posted2022/01/29 11:04
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
YAMANASHI GAKUIN SENIOR HIGH SCHOOL
「43歳の誕生日をここ(山梨)で祝ってもらったことをこの間思い出して、こちらに来て今年で丸10年になるんだなって、ふと思ったんですよ」
柔らかく、言葉を紡ぐように話すところは長崎にいた頃と何ら変わっていない。
「冬は佐世保よりこちらのほうが断然寒い。夏も山梨の方が暑いですね。40度を超えることなんてしょっちゅう。佐世保にいた時は暑くても30度半ばくらいで、冬は寒くても0度とかマイナス1度くらい。こっちはマイナス10度くらいまで下がることもありますし、温度の幅がすごいんですよ」
吉田洸二。長崎の清峰高の監督として春夏計5度の甲子園に出場し、2009年センバツでは県勢初の全国優勝を果たしたことはあまりにも有名だ。
13年から母校でもある山梨学院大の付属高校の監督として指揮を執り、今ではすっかり“山梨の人”になった。現在は、一昨年1月から野球部の部長に就任した長男・健人氏と共にグラウンドに立つ毎日を過ごしている。
「(健人氏が学生コーチとして)大学に来てからを合わせると、もう7年くらいですかね。そもそも高校野球の指導者になるのも、こちらから“やりなさい”なんて言っていませんし、息子からも“やらせてください”という言葉もなかった。すべて自然な流れでした」
「家族の思い出はほとんどない」
高校野球の指導者は1年のほとんどは学校にいるか、グラウンドに立っているため、家にいることはほとんどない。健人氏に幼い頃の話を尋ねると、こう返ってきた。
「少年時代の家族の思い出はほとんどないですね。夏休みによく家族でどこに行ったとか友達と話すことがありますが、僕にはそれもないんです。ただ……練習を終えて父が家に帰ればこの選手はこういう選手だよ、とかご飯を食べながら色んな話をしてくれて、そういう話を聞くのは好きでした」