甲子園の風BACK NUMBER

「野球部を私物化している、とよく言われました…」就任10年目、山梨学院・吉田洸二監督が親子で目指す“09センバツ優勝”の再現 

text by

沢井史

沢井史Fumi Sawai

PROFILE

photograph byYAMANASHI GAKUIN SENIOR HIGH SCHOOL

posted2022/01/29 11:04

「野球部を私物化している、とよく言われました…」就任10年目、山梨学院・吉田洸二監督が親子で目指す“09センバツ優勝”の再現<Number Web> photograph by YAMANASHI GAKUIN SENIOR HIGH SCHOOL

山梨学院の監督就任10年目のシーズンを迎える吉田洸二監督(左)。息子・健人氏は部長として、父の指導をサポートしている

 健人氏にとって、高校野球を教える父の存在はむしろ誇りだった。

 少年野球でボールに触れるようになり、やがて父が指導する清峰高校へ入学した。だが、1年生の時に父が山梨学院大付(当時)の監督に赴任することが報道された。実は前々から内情を知っていたという健人氏だったが、大学は父を追って山梨学院大に進むことにした。

「小学生の時から清峰の試合はほとんど見ました。自分は人前で話すことは好きだったし、ノックを打つのも好きで、高校生の時から指導者に向いているのではないかと思っていました。指導者に“なりたい”、というより“なる”という気持ちでした」

 山梨学院大では体育の教員免許を取ることが目的だったが、在学しながら父が指導する高校で学生コーチとして勉強もできる。プレーすることよりも人の前に立つことに早くから意欲を燃やしてきた息子を、父・洸二監督はこう見つめてきた。

「甲子園もほぼ全試合を見ていて、野球はむちゃくちゃ詳しかったんですよ。この子は“もう、この道(高校野球の指導者)を選ぶんだろうな”というのはありました」

周囲の反発「親子でやっているから負けた」

 ただ、すんなりと事が運んだわけではなかった。親子で指導するにあたり、必ずしもすべての人が歓迎モードではなかったという。そもそも山梨学院の監督に赴任した当時から外部者への風当たりは強く、何度も理不尽な思いをした。そんな中で息子を自身が指導する学校に招いたことに不満を持つ者が根も葉もないことを吹聴して回っていた。

「親子でやると“野球部を私物化している”とか最初の頃はよく言われましたね。負けた時も“親子でやっているから負けた”とか。まぁ……ずっと前ではありますが、長崎で無名だった僕が指導して、無名の公立高校が全国優勝した後も、ありえないような噂話を流されたこともありましたからね」

 そんな時ほど指導への熱がこもった。16年から4年連続で夏の甲子園出場に、ここ3年で2度の秋の関東大会準優勝など、その成果は示した。結果を出すことで余計な雑音は今ではほとんど聞かれなくなったが、そんな父の姿を見て、息子も燃えないわけがない。

【次ページ】 「監督とは運命共同体ですから」

BACK 1 2 3 NEXT
#山梨学院高校
#吉田洸二
#吉田健人
#清峰高校
#今村猛

高校野球の前後の記事

ページトップ