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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
無名の高校生が“箱根駅伝の名物ランナー”に…帝京エース・遠藤大地が明かす本音「もっと突き抜けたかった。もっと強い選手になりたかった」
posted2022/01/27 11:04
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
Yuki Suenaga
「箱根駅伝が終わってからは走っていないですね。体重も結構増えました(笑)」
帝京大4年の遠藤大地は、激戦を終えた翌日には4年間を過ごした寮を出て、地元の宮城に戻った。これまでは走ることが日常だったが、今はジョギングさえもしていないと言う。就職までのほんのひとときだが、遠藤はようやく“普通の大学生”らしい生活を送っていた。
「今は山形で免許合宿中です。雪がやばいですね……」
走らなくなった代わりに、やりたかったこと、やるべきことを1つ1つこなしていた。
ルーツはバスケ「アイバーソンは“やらない”を選択しない」
中学まではバスケットボールに夢中。憧れのスポーツ選手はというと、NBAのスタープレイヤー、アレン・アイバーソンだった。
「アレン・アイバーソンは、“やらない”という選択肢をとらない選手。自分も見習って、挑戦できることには挑戦しようと思っていました」
遠藤といえば、積極果敢なレース運びが持ち味だが、そのルーツはこんなところにもあった。
実は、バスケ部に所属しながらも、中学時代に3000mで宮城県8位の実績を残している。古川工業高に進学すると、バスケを続けるつもりが、齋康浩先生の熱心な勧誘を受けて陸上競技を本格的に始めることになった。そこからは、高校、大学と、走ることに全力を注いできた。
高校卒業後の進路は、家庭の事情から一度は就職を決意していた。だが、めきめきと力を付け、全国高校総体(インターハイ)に出場したことで、大学進学の道が切り開かれた。そして、高校2年の時に最初に声をかけてくれた帝京大に進むことを決めた。
帝京大に“ドラ1”で入学
帝京大といえば、“叩き上げ”が代名詞。今は高校生で5000m13分台を出す選手が珍しくない時代だが、13分台はおろか、14分30秒以内のタイムの選手が入ってくることさえ、なかなかなかったチームだ。それゆえに、高校時代に14分23秒66で走っている遠藤は、その年の“ドラ1”的存在だった。とはいえ、高3時の高校100傑になんとか名前を連ねている程度で、全国的に名前を知られていたわけではない。
それが、入学して早々に遠藤の才能は一気に開花する。