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20歳で母国ドイツからNBA挑戦…ダーク・ノビツキーが過ごした最高の21年間、今もダラスの街で愛される「41」

posted2022/01/05 11:02

 
20歳で母国ドイツからNBA挑戦…ダーク・ノビツキーが過ごした最高の21年間、今もダラスの街で愛される「41」<Number Web> photograph by Getty Images

引退から2年、ノビツキーが背負った「41」は永久欠番とされることになった

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宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

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 23年前、20歳のダーク・ノビツキーは、不安な気持ちを抱えて母国ドイツから新天地ダラスにやってきた。

 当時のNBAは今ほどアメリカ国外出身の選手が多くなく、ドイツのリーグで活躍して注目された実力がNBAの舞台で通用するかどうか、自分でもわからなかったのだ。しかも、NBA1シーズン目はリーグのロックアウトの影響で開幕が年明けまで遅れ、短縮トレーニングキャンプでシーズンに突入。デビュー戦では打ったフィールドゴールを5本とも外し、フリースローでようやく2得点をあげただけ。ルーキーのシーズンにはベンチに座ったまま出られなかった試合もあり、ドイツに帰ったほうがいいのではないかと考えたこともあったという。

 それから21年後の2019年、ノビツキーは輝かしい実績を残して現役生活を終えた。その間に成し遂げたことは数多く、2011年にNBA優勝を果たしてNBAファイナルMVPに選ばれたほか、レギュラーシーズンMVP(2006-07)の受賞、NBAオールスター14回選出などの経歴を残した。

 トレンドセッターでもあり、長身シューターとして、さらにはインターナショナル・プレイヤーとしての道を拓き、シグニチャームーブとなった独自の片足フェイドアウェイシュートは、後に続く多くの選手が真似するようになったほどだ。また、今季開幕時にNBAが発表したリーグ創立75周年記念の史上最も偉大な76選手にも選ばれている。

21年間ずっとマーベリックス

 最近では珍しく、キャリア21シーズンすべてを1つのチーム、ダラス・マーベリックスで過ごしており、引退してもなおチームを代表する存在。引退後にマブズの本拠地、アメリカン・エアラインズ・センター(AAC)近くの道が『ノビツキーウェイ』と名づけられたほか、現地時間の1月5日には背番号41がマブズの永久欠番入りする。近いうちに、AACの前に銅像が設置される予定もあるという。

 12月にインターナショナル・メディアとのZOOM会見に応じたノビツキーは、20年余の現役生活はまるで夢のようだったと語った。

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