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「村上とか宮本が活躍した方が…」ヤクルト青木宣親が誰よりも鮮明に見据えていた“チームの立ち位置”《2年連続最下位からの日本一》
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byJIJI PRESS
posted2021/11/30 17:03
日本シリーズ第2戦でタイムリーを放つ青木宣親
ワールドシリーズでは、第1戦の7回3安打1失点でロイヤルズのポストシーズン初戦からの連勝を8で止め、2勝2敗で迎えた第5戦には4安打8三振で完封勝利を納めた。3勝3敗で迎えた第7戦、ジャイアンツが3対2でリードしていた5回から、リリーフのマウンドに上がった。その時点で同年は2完封を含むポストシーズン4勝1敗、防御率1.13。2010年と2012年のワールドシリーズの優勝に貢献した左腕は、シリーズ通算4勝負けなし、防御率0.29と圧倒的な数字を残していた。
そのバムガーナーに対し、ロイヤルズは5回、先頭打者が右前打で出塁し、次打者エスコバー(そう去年、ヤクルトにいたあの人だ)の犠牲バントで一死二塁のチャンスを作った。
一打同点のチャンスに打席に入ったのは、他ならぬ青木だ。4球目、外角寄りのスライダーを叩いて、左翼線に鋭いライナーを飛ばす。一瞬、誰もが同点打だと思った。広い本拠地球場だ。二塁打は確実。左翼手が少しでも打球の処理を誤れば、三塁まで行ける可能性だってある――。
ところがラインよりに守っていた左翼手が軽々と追いつき、後続打者も倒れてロイヤルズは同点のチャンスを逃した。バムガーナーは残る4回も無失点で抑え、2014年のワールドシリーズにおけるヒーローとして後々まで語り継がれる存在となった。ナ・リーグ優勝決定シリーズに続いて、2勝1セーブでワールドシリーズでも最優秀選手賞を獲得した。
7年前とは違う、歓喜の輪の中の青木の涙
あれから7年が過ぎた。
ロイヤルズは翌2015年、ナ・リーグ王者のメッツを下してワールドシリーズ優勝を果たした。一方の青木はバムガーナーから放ったレフト・ライナーで対戦相手から注目されて、ジャイアンツに移籍。2016年のマリナーズ、2017年のアストロズ、ブルージェイズ、メッツを経て、2018年に東京ヤクルトで日本球界に復帰した。
ロイヤルズ時代、バムガーナーのスライダーを弾き返し、「ほんの数メートル」、もしかしたら「ほんの数センチ」でヒーローになり損ね、「頂点」に届かなかった青木は、日本でその場所に辿り着いた。
ヤクルトが日本一になった瞬間の映像を見たのは少しあとだった。
真っ先に探したのはもちろん、背番号23番だ。歓喜の輪の中にいた彼は、7年前の悔し涙とは違う涙を流し、拭っていた。
これから先、それが何だったのかを聞くことはきっと、ないだろう。
どうせまた、しらばっくれて、「汗が目に入っただけだから」と言うだろうから――。