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「野球人生でやり残したことは『ヤクルトでの優勝』だけ」6年ぶり歓喜の立役者・青木宣親がついに掴んだ頂点

posted2021/10/27 17:10

 
「野球人生でやり残したことは『ヤクルトでの優勝』だけ」6年ぶり歓喜の立役者・青木宣親がついに掴んだ頂点<Number Web> photograph by KYODO

39歳、プロ生活18年目のシーズンを主力として戦い抜いた青木。優勝決定時点で121試合に出場し、打率.258、9本塁打などの活躍を見せた

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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「グラウンドレベルにいると、レフトにいる青木選手の声が本当によく響いてくるんです」

 神宮球場のスタジアムDJを務めるパトリック・ユウ氏から、そんな話を聞いたことがある。同様にフジテレビ中継のアナウンサーである向坂樹興氏からは「中継ブースで実況していると青木選手の声が、ここまで届くんです」と聞いたこともある。

 神宮球場ライトスタンドに座っていても、相手チームの攻撃で盛り上がるビジターファンの前で守備に就いている青木の声がライトのヤクルトファンに届くことは日常茶飯事だ。コロナ禍により、声を出しての応援が禁じられている昨今だからこそ、青木の声は球場内に響き渡っている。青木は戦っている。攻守において、全力で戦っている。

 改めて、ヤクルトの顔であり、「ミスタースワローズ」の象徴でもある「背番号《1》の系譜」を振り返ってみる。現在は背番号《23》の青木も、かつては背番号《1》の系譜に名を連ねていた。

 若松勉から始まり、池山隆寛、岩村明憲、そして青木宣親と続き、現在では山田哲人がこの番号を受け継いでいる。いずれも、スワローズファンにとっては思い出深い選手ばかりであり、球史に名を遺す偉大な名選手ばかりである。

 さて、この顔ぶれを見たときに、青木だけが「仲間外れ」であることに気がつく人も多いだろう。若松は1978(昭和53)年、広岡達朗監督時代に、池山は野村克也が率いた90年代の黄金時代に、岩村は若松監督時代の2001(平成13)年に、そして山田は真中満監督時代の15(平成27)年に、いずれも優勝を経験している。

 しかし、青木だけがスワローズでの優勝経験がないのだ。栄光に彩られたスワローズの背番号《1》の系譜において、青木だけが歓喜の瞬間を味わった経験がないのだ。このことは本人も痛切に意識していたと思われる。古巣に復帰した18年オフにインタビューをした際に、青木はこんな言葉を口にした。

2500本安打のベテランがやり残したこと

「日本球界復帰のときも言いましたが、僕は11年に小川(淳司)監督の下で優勝を逃しています。志半ばのままアメリカに旅立ちました。あの時点で、僕にとっての日本の野球は止まっています。それが、ようやく動き出した。僕の野球人生でやり残したことは『ヤクルトでの優勝』だけです」

 プロ入り以来、これだけ輝かしい実績を残している青木でさえも、まだやり残したことがあるのだ。やり残したことは、やり終えねばならない。つまり、何としてでもヤクルトは優勝しなければならなかったのだ。

【次ページ】 今季最大の苦境を救った青木の言葉

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