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フォークで“メッタ刺し”されても立ち上がる…全日本プロレス“不屈のベビーフェース”テリー・ファンクはなぜ愛されたのか? 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2021/12/01 17:05

フォークで“メッタ刺し”されても立ち上がる…全日本プロレス“不屈のベビーフェース”テリー・ファンクはなぜ愛されたのか?<Number Web> photograph by AFLO

全日本プロレスのタッグ戦線にて、アイドル的な人気を誇ったドリー・ファンク・ジュニア(右)&テリー・ファンク(左)

テリー・ファンク引退の知られざる真相

 その思惑通り、テリーの人気は引退に向けてさらにヒートアップ。とくに83年夏の『テリー・ファンクさよならシリーズ』は、連日超満員の観客を集め、新日本ブームに匹敵する盛り上がりとなる。そして83年8月31日蔵前国技館で行われたテリー・ファンク引退試合は、最後の勇姿をひと目見ようと全国からファンが集まり、涙と感動のうちに幕を閉じた。

 しかし、そのわずか1年後、兄ドリーのマネージャーとして来日したテリーは、ハンセン&ブロディの横暴に怒り試合に乱入し、現役復帰を宣言。全日本側は、あれだけの人気を誇ったテリーが復帰すれば、ファンがまた応援すると考えたのだろうが、感動の涙からわずか1年で復帰したテリーをファンは許さなかった。1984年の『最強タッグ』に兄ドリーとのザ・ファンクスで出場するも、かつてのような熱気と人気は戻ることなく、テリーは静かに全日本をフェードアウトしていったのである。

 こうして日本でのアイドル人気を失ったテリーだったが、母国アメリカではヒールとしてWWF王者のハルク・ホーガンや、WCW王者のリック・フレアーと抗争を展開。そして50歳をすぎてから、ハードコア団体のECWで“リビング・レジェンド”として再ブレイク。

 日本でも90年代半ばからFMWやIWAジャパンといったインディー団体に再び来日するようになると、大人になった“かつての少年ファン”たちも、あの83年の引退の「事情」を理解し、長年の激闘でボロボロになったテリーをまた愛せるようになった。10年以上の長い時を経て、日本のファンとテリーは心の和解をはたしたのである。

テリー・ファンクは現在77歳に

 日本のプロレスファンにもっとも愛された外国人レスラー、テリー・ファンク。現在、77歳となったテリーは認知症に苦しみ、故郷であるテキサス州アマリロの介護施設で生活しているが、それも回復傾向にあると現地メディアでは報じられている。

 来年、創立50周年を迎える全日本プロレスの最大の功労者のひとりであるテリーに、もう一度「ありがとう」の気持ちを伝えたい。そう思っているファンは、数多くいるはずだ。

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