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フォークで“メッタ刺し”されても立ち上がる…全日本プロレス“不屈のベビーフェース”テリー・ファンクはなぜ愛されたのか? 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2021/12/01 17:05

フォークで“メッタ刺し”されても立ち上がる…全日本プロレス“不屈のベビーフェース”テリー・ファンクはなぜ愛されたのか?<Number Web> photograph by AFLO

全日本プロレスのタッグ戦線にて、アイドル的な人気を誇ったドリー・ファンク・ジュニア(右)&テリー・ファンク(左)

ブッチャーがテリーの右腕をフォークで“メッタ刺し”

 迎えたシリーズ最終戦の12・15蔵前国技館。公式戦最後のカードは、もちろんザ・ファンクスvsブッチャー&シークの因縁の闘い。この試合でテリーは、ブッチャーに右腕を凶器のフォークでメッタ刺しにされ流血。昭和の時代、プロレスの試合で額から流血するのは、ある意味で日常茶飯事であったが、腕をフォークでえぐられるというのは、初めて見る凄惨なシーン。場内は悲鳴と怒号に包まれた。

 この度を超えた反則攻撃により、テリーは場外で戦闘不能状態となるが、ここからがテキサスブロンコの見せ場だった。包帯代わりのバンデージを腕にぐるぐる巻きにしてリングに復帰すると、二人がかりでドリーを痛ぶるブッチャーとシークを怒りのナックルパンチで蹴散らし、兄を救出。試合は、テリーの思わぬ反撃にあった最凶悪コンビがレフェリーのジョー樋口に苦し紛れの暴行を加えて反則負けとなり、リーグ戦は最高得点となったザ・ファンクスが優勝した。

 この試合でテリーが見せた、どんなに痛めつけられても諦めない不屈のガッツと、身体を張って兄を助けにいく兄弟愛は、ファンの感動を呼んだ。そして試合後の表彰式で、傷ついた腕を包帯で吊りながら、泣きださんばかりに感情を爆発させるテリーの姿にファンは心を奪われた。こうして『オープンタッグ』は興行的にも大成功を収め、翌78年から名称を『世界最強タッグ決定リーグ戦』にあらため、現在まで40年以上続く、全日本の看板シリーズとなったのである。

アイドル顔負けの人気絶頂の中、迎えた時代の終焉

 そして『オープンタッグ』での激闘以降、テリーの人気はさらに爆発。少年ファンだけでなく、これまでプロレス会場にはほとんどいなかった若い女の子のファンが急増。有志によるテリー親衛隊がいくつも結成され、試合になると揃いのチアガール衣装を着た女の子たちが、ボンボンを持って応援する姿が見られた。近年のプロレス会場には、“プ女子”と呼ばれる女性ファンが増えたと言われているが、こんなアイドル顔負けの人気を博したレスラーは、後にも先にもテリー・ファンクだけだ。

 その人気は、83年の引退試合でピークを迎えるが、皮肉にもそれがテリーとファンの幸せな時代の終焉でもあった。

 テリーは人気絶頂の最中、80年10月に「3年後に引退」する意向を発表。これは「古傷であるヒザの怪我が悪化したため」と発表されたが、じつは当時、大ブームを巻き起こしていた新日本に対し、劣勢を強いられていた全日本の対抗策という意味合いのほうが強かった。

【次ページ】 テリー・ファンク引退の知られざる真相

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