One story of the fieldBACK NUMBER
日本ハム新ボールパーク構想はいつ生まれたのか?《総工費600億》巨大な夢に挑む男たちの舞台裏「吉村さんなくして語れない」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byES CON FIELD HOKKAIDO
posted2021/11/30 11:01
2023年春に開場する北海道日本ハムファイターズの新スタジアム「エスコンフィールドHOKKAIDO」のパース図
新スタジアム建設に向けて動きはじめるとき、前沢は吉村に訊いた。
「開場は何年がいいですか?」
すると、吉村は言った。
「早いのであれば、何年でもいいよ」
続けて、ピッチャーズパーク(投手有利の本塁打の出にくい球場)を望むのか? それともバッターズパークなのか? を問うと、こう言った。
「つくりたいものをつくってくれればいいよ」
前沢はそこまで聞いて、確信した。
吉村は新しいスタジアムの開場に合わせて、その器に相応しいチームをつくる。強くて、魅力的な選手たちが真っさらな天然芝の上に立つ。
その確信は、周りから無謀だと言われる構想の実現に向かって突っ走る前沢にとって、勇気になった。
今、北海道は新監督となった新庄剛志に沸いている。道内のみならず、日本全国からこれほどの視線が注がれるのは、それが誰も想像しなかった人事だからだろう。
だが振り返ってみれば、10年前にもそんなことがなかっただろうか?
2011年の秋、ファイターズの監督に就任したのは現役時代に飛び抜けた実績を持たず、指導者経験もない栗山英樹だった。このときも、人々は思ったはずだ。本当に大丈夫なのか?
球団内の噂では、吉村は世の中を驚かせる何年も前から、栗山のある部分に目をつけて、アプローチしていたのだという。
あれはいつだったか、新庄がプロ野球への現役復帰を望んでいるという噂が流れたとき、前沢は単刀直入に、吉村に訊いたことがある。
「新庄さんがファイターズに入ることはないんですか?」
すると吉村は、そのときも答えを返してくれた。
「選手ではない違う形でなら、あるかもしれない」
どうやら、ビッグ・ボス誕生の裏に吉村の眼力が光っている可能性は高そうだ。そして、あらゆることが電車の車窓から見えるあの建造物に繋がっているように思える。
「吉村さんの存在や吉村さんを中心としたチーム統轄本部がなければ、何年も先に、巨額の費用がかかるボールパークをつくろうなんて自信は持てなかったと思います。スポーツビジネスはチームと事業の両輪が噛み合ってはじめて機能し、価値あるものになる。そういう意味で、我々が創造しようとしているボールパークにおいて、あの人の存在は非常に重要ですし、吉村さんなくして語れないんです」
チームを強くする吉村。スタジアムをつくり、そこに集う人と人との間にスポーツコミュニティを生み出そうとする前沢。プロ球団の両輪を担う2人はプライベートで酒を酌み交わすような間柄ではない(そもそも吉村は酒を飲まない)。だが、2023年春に生まれる壮大な劇場の裏で、2人の男の夢は密接にリンクしている。
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