SCORE CARDBACK NUMBER
「もともとは体操も大学で卒業かなと」酷使した身体はギリギリの状態…それでも村上茉愛(25)が「幸せだった」と語るワケ《現役引退》
posted2021/11/23 17:02
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Asami Enomoto
日本の女子体操界を牽引し、数々の歴史を塗り替えてきた名花・村上茉愛(日体クラブ)が、10月に福岡県北九州市で行なわれた世界選手権を最後に現役を退いた。今夏の東京五輪種目別ゆかで、日本女子として史上初の個人表彰台となる銅メダルを獲得してから3カ月弱。最後の大舞台では種目別ゆかで金、平均台で銅メダルに輝き、世界選手権での通算メダル獲得数を金2、銀1、銅2と伸ばしていた。
4歳から体操を始めて21年。
「最初は純粋に体操が好きで、楽しくてやっていた。五輪のメダルを目指そうと決めてからはつらいことばかりだったが、それでも最終的にメダルを獲れたのは、いろいろなことを耐え抜いたからだと思う」
引退の理由を尋ねられると、「('19年に)腰を痛めた時から引退が見えてきた。本気でメダルを獲ろうと思えば我慢しなければいけないことがあるし、体を酷使しないといけない。それが重なってギリギリの状態を保ってきたので」と語った。
笑顔も泣き顔も愛されてきた
最大の武器として使い続けてきたゆかのH難度技「シリバス」を小学6年生でマスターし、天才少女と呼ばれた。高校2年生だった'13年に世界選手権初出場。大学2年生だった'16年にはリオデジャネイロ五輪出場を果たした。しかし、女子団体総合4位などメダルに届かず、東京五輪を目指すことを決意した。
「元々はリオでメダルを獲って、体操も大学で卒業かなと思っていた。リオの後に本気で体操を見つめ直して、よくここまでやってきた。大勢の人に『よく頑張ったね』と言ってもらえて、本当に幸せだった」
大学入学時から村上を指導してきた瀬尾京子コーチは、「ジュニアの頃から人並み外れた技術を持っていた。喜怒哀楽があって体操に向いていた。日本女子が今まで届かなかった世界の表彰台に上がり、目に見える目標を作ってくれた功績は素晴らしい。日本女子が世界で戦える基盤を築き上げてくれた」と称えた。
今後については「パリ五輪やその先に、大勢の日本女子が世界でメダルを獲るお手伝いをしたい」と語った村上。現役最後の演技を終えると約2500人の観客から温かい拍手が降り注いだ。笑顔も泣き顔も愛されてきた名花のフィナーレにふさわしい光景だった。