- #1
- #2
Number ExBACK NUMBER
日本シリーズ絶望が報じられても「伊藤智仁は絶対に投げてくる」…森祇晶と野村克也、名将同士の“静かなる心理戦”の内幕
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2021/11/16 17:04
ルーキーイヤーの93年、前半戦だけで7勝2敗、防御率0.91という驚異的な成績を残した伊藤智仁。7月4日の登板を最後に故障で戦線を離脱したが、西武を率いる森祇晶は警戒を緩めなかった
マスコミ上では「ヤクルト有利」の声がやや強い中、「それでも西武は勝つ」と断言した男がいる。前年まで西武の一員として「AKD砲」の一角を担っていたデストラーデだ。彼は10月16日にテレビ解説のために来日していた。
「四勝一敗で西武が勝つ」
デストラーデは自信満々に語った。
「今年のヤクルトは強い」森祇晶は慎重な発言を繰り返した
もちろん、前年と同様に野村は森に対して「口撃」を仕掛けた。
23日から始まるシリーズ本番前の17日夜、両監督はテレビ朝日の『スポーツフロンティア』に時間差で出演した。野村は司会者に言った。
「ヤクルトがシリーズに勝つにはどうしたらいいのか? ぜひ、森監督に聞いてほしい」
これに対して、後でスタジオ入りした森は淡々と答える。
「あの人が黙っていれば勝てますよ」
前年同様、野村が仕掛けて、森が受け流す。本番に向けて、そんな場外戦がますますヒートアップすると誰もが考えていた。しかし、実際はそうはならなかった。
むしろ、野村よりも森の方が口数が多かったのだ。
前年と比べると、「ヤクルトは強い」「今年は難しい」「今年はチャレンジャー精神で向かっていく」と慎重な発言をしばしば口にした。
森の態度を見た野村は、その真意を推察する。
「森がああいうことばかり口にする根底には、負けることへの不安や恐怖があるからや。だが、その反面では“今年も勝てる”とも思っとる。そういう心理がよう出とるよ」
はたして、伊藤智仁は投げるのか?
森は何度も「伊藤智仁は投げられるはずだ」と口にした。
スポーツ紙には「伊藤 シリーズ絶望」の文字が躍っていた。しかし、森はそれを信じていなかった。「相手投手リストからは消していない」と口にし、スコアラー陣に対しても「伊藤は絶対に投げてくる。対策ビデオを準備しておくように」と命じていた。
これを受けて野村は、右ひじの負傷でまったく投げることができないにもかかわらず、シリーズ出場40人枠に「伊藤智仁」の名前を記した。
前年の日本シリーズにおいて、最後まで工藤公康の先発を読み切ることができずに苦い経験をしていた野村ならではの報復であり、心理的な揺さぶりだった。