“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
内田篤人も驚く“とんでもない化け物”17歳チェイス・アンリ(尚志高)が秘めるデカすぎる可能性「バックボーンを誇りに思っている」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2021/11/10 11:01
チームを選手権出場へ導く決勝ゴールを奪ったDFチェイス・アンリ(尚志高・3年)
アンリは日本生まれだが、幼少期をアメリカで過ごした。母の実家がある神奈川県に戻ってきたのは中学1年生の頃。当時はほとんど日本語を話すことができず、「最初は周りが何を言っているのか分からなくて苦労した」と振り返るが、持ち前の明るいキャラクターで学校生活に馴染むことに苦労はなかった。
「アメリカはとにかくフリーダム。いろんな人種の人たちがいたし、それぞれがやりたいことを自由にやっている印象がありました。でも、日本に来るとみんな同じ制服を着ているし、きっちりしているというか、そういう部分には少し驚きました。でも、日本の人たちは本当に礼儀正しい人たちばかりだと思いましたし、言葉の面では大変だったけど、みんなが優しく接してくれて、生活には徐々に慣れていくことができました」
アメリカでの本格的なサッカー経験はなく、公園で仲間たちと遊びでボールを蹴っていた程度。本場であるバスケットボールや野球、水泳とあらゆるスポーツにも触れたが、どれも本人にとっては“遊びの延長線上”だった。そんなアンリが部活動を1つ選択する際に頭に浮かべた光景はアメリカ代表の勇姿だった。
「体を動かすことが大好きで、一番体を動かせるのがサッカーだった。それに10歳の時にブラジルW杯(2014年)でアメリカのナショナルチームがベスト16に進出して、ワクワクして『W杯でプレーしたい』と思いながら観ていたのもあって、サッカー部に入ろうと思いました」
アンリが通っていた中学校のサッカー部は県内でも決して強豪とは言えないチーム。でもほぼ未経験だったアンリにとっては全員が驚くほど上手く見えた。
「衝撃でした。僕は遊びでやってきた人間なので、下手すぎて周りとレベルが全然違ったし、何よりもみんながサッカーを本気でやっていた。僕も真剣にやって、もっと上手くならないといけないと思ったんです。負けず嫌いの気持ちに火がつきました」
憧れた選手権決勝の舞台
毎日のように部活でボールを追いかけ、家に帰るとすぐに自主練。そんな毎日を過ごしていた中2の冬、全国高校サッカー選手権大会を見て、新たな憧れと目標を抱いた。
「埼玉スタジアムで前橋育英と流経大柏の決勝戦を見ました。応援もすごいし、雰囲気もすごいし、両チームとも上手い。ここに出て試合をやりたいと思ったんです」
中3になったアンリにいきなり運命の時がやってきた。
尚志の下部組織にあたるラッセル郡山U-15が神奈川遠征に訪れた時、中体連の3校と練習試合をした。その1つがアンリのいた中学校だった。
そこでアンリのプレーが尚志の関係者の目に留まり、すぐに練習参加するなど獲得に動き出した。地元・神奈川の強豪校からもラブコールを受けるほどのポテンシャルを発揮していたが、「尚志高校はきちんと(パスを)繋ぐし、技術レベルが高くて面白いサッカーをしていると思いました。それに自分自身も寮生活で親元を離れて自立したいと思った」と、福島県への越境入学を決めた。
夏の全国中学校サッカー大会予選までサッカー部でプレーして中学の部活を終えると、高校進学までの残り期間を「尚志で活躍して選手権に出るためには、クラブチームでもっと上手くならないといけないと思った」とFC湘南ジュニアユースに加入し、高校入学までの時間を1秒たりとも無駄にしなかった。
初めての寮生活でも、そのキャラクターを遺憾なく発揮。同じ目標を目指す仲間たちとはすぐに打ち解け、日本語もメキメキ上達していった。
「先輩でも指導者でもタメ口で話すことがあるんですが、そこがまた可愛いんですよ」(尚志・仲村浩二監督)
コミュニケーションの上達は、プレー面でも相乗効果があった。仲村監督は「入部当初はキックの質も低く、奪えるボールと奪えないボールのジャッジもできなかった」と回想したが、尚志のスタッフらはアンリに基礎技術を徹底して植え付けた。さらにトップチームがユース年代最高峰のリーグであるプレミアリーグEASTに昇格したことで、1年時からその1つ下のカテゴリーに位置するプリンスリーグ東北に参加するセカンドチームでプレー。つまり、より高いレベルで実戦経験を積むことができた。