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「お前には夢があるだろ!」と救命胴衣を投げつけ、海に消えた兄……命懸けでプロの世界に辿り着いた“ボート難民”選手の壮絶な半生
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2021/11/03 17:00
欧州サッカー界でプレーする“元ボート難民選手”たち。彼らは壮絶な経験を経て、プロの世界へと辿り着いたのだ
その後、18年にセリエCクラブのテストを受けたが、難民の身では選手登録は不可能。苦労して法的な手続きを済ませ、ジェノアの試合形式のトライアウトを受け、前半だけで2ゴールを決めたことで現在に至る道を切り開いた。
ようやく両親にも連絡を取ることができた。母親はカロンが死んだと思っていた。兄は件のテログループに誘拐されており、いまだ消息がわからない。
17歳の頃、ダルボエの体重は50kgしかなかった
ダルボエは14歳のとき西アフリカの小国ガンビアから逃げ出した。貧困で死ぬか、命懸けで欧州に渡ってサッカーで食えるようになるか。それしかなかった。
6カ月かけてリビアまで辿り着き、やはり、オンボロ船でシチリア島へと流れ着いた。イタリア当局に保護され、中部ラツィオ州で難民キャンプ生活を送りながら、近隣のアマクラブに参加した。民間開催の国際大会に出て、居合わせたASローマのスカウトに「自分を査定してくれ」と売り込んだ。
問題は、ひょろひょろのフィジカルだった。身長178cmのダルボエの体重は、今でこそ筋肉がついて69kgあるが、17歳の頃は50kgしかなかった。母国での栄養状態はそれほど貧しかった。
ただし、テクニックには目を見張るものがあった。ローマ育成部門の名コーチ、アルベルト・デロッシはダルボエの才能を見抜き、すぐにプリマベーラ・リーグで重用した。
18歳の誕生日にプロ契約を結んだダルボエは、昨季終盤にセリエAデビュー。マンチェスター・UとのEL準決勝にも出場し、「夢みたいだ」と涙をこぼした。
「自分と同じようにアフリカを後にした人はたくさんいて、その多くが辿り着けなかった(※多くが海難事故で死亡している)。誰でも将来に希望を持ちたい。でも、そのために大事な命を懸けるリスクを、僕はもう誰にも負ってほしくないんです」
母国を後にした日から6年、ダルボエにはガンビア協会から代表招集レターが届いた。20歳の誕生日の前日、今年6月5日の親善試合ニジェール戦でA代表デビューを果たした。
船が沈んでいたら確実に溺れ死んでいた
2年前、DF冨安健洋(アーセナル)と同時期にボローニャへ入団した小兵アタッカー、FWムサ・ジュワラもガンビアからのボート難民だった。
16年6月、シチリア島メッシーナ沖で536人の難民を乗せた船が保護された。そのうちの一人が当時14歳だった少年ジュワラだった。
「泳げなかったから、船が沈んでいたら確実に溺れ死んでいただろうね」