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「お前には夢があるだろ!」と救命胴衣を投げつけ、海に消えた兄……命懸けでプロの世界に辿り着いた“ボート難民”選手の壮絶な半生

posted2021/11/03 17:00

 
「お前には夢があるだろ!」と救命胴衣を投げつけ、海に消えた兄……命懸けでプロの世界に辿り着いた“ボート難民”選手の壮絶な半生<Number Web> photograph by Getty Images

欧州サッカー界でプレーする“元ボート難民選手”たち。彼らは壮絶な経験を経て、プロの世界へと辿り着いたのだ

text by

弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

PROFILE

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 今年の夏、選手名鑑制作のためにキーボードを叩く手が何度か止まった。

 ジェノアのFWヤヤー・カロン、20歳。

 ローマのMFエブリマ・ダルボエ、20歳。

 彼らに共通する来歴に、時の流れを感じたからだ。

 アフリカを故郷とする2人がイタリアに来た時期はいずれも6、7年前で一致している。彼らは、アフリカからの“ボート難民”だった。

危険を察した両親がカロンを逃してくれた

 2015年前後に起こった欧州難民 危機のことは、忘れられない。内戦や貧困が続く中東やアフリカから欧州めがけて大量の難民が押し寄せた。アフリカ大陸沿岸に近いイタリアは海の玄関口であり、内務省統計によれば14年からの2年間で32万人超が非正規ルートでイタリアに上陸したとされる。

 昨季の最終節でセリエAデビューを果たしたカロンは、15歳のときに故郷シエラレオネを後にした。そうしなければ、自動小銃アサルトライフルを握らされて殺し合いをさせられていた。政情不安の母国では少年を誘拐し、兵士に育て上げて内戦へ送り込むテロ集団が長年跋扈しており、危険を察した両親がカロンを逃してくれたのだ。

 目指したのは、大陸の北部にあるリビアの首都トリポリだ。トリポリから出港する違法船に乗り込み、海路でイタリアやギリシャを目指す地中海ルートは、最もメジャーな渡航方法の一つだ。

木の葉のようなゴムボートで大洋を8時間も彷徨った

 故郷からトリポリまでは、直線距離にして約4000kmあった。

「ひとり旅は辛かった。旅の途中、コートジボワールやセネガル、マリから逃げてきた、同じような境遇の少年たちと知り合った。言葉は通じなくても徒党を組んで、旅を続けた。大変だったけれど、リビアに着いてから渡航するための船に乗るまでの方が地獄だった。船賃に(リビア通貨で)1000ディナールが必要だった。稼ぐために長屋の掃除でも何でもやって、ようやく貯めたと思ったら、有り金すべて盗まれてゼロからやり直し。周りには同い年くらいの子供が銃を持ってうろついている。本当に無法地帯だった」(カロン)

 大洋では、木の葉のようなゴムボートにぎゅうぎゅう詰めにされて、8時間も彷徨った。イタリア領海の移民受入れ最前線にあたるランペドゥーサ島に辿り着いた後、国内北部にある難民キャンプに収容された。

【次ページ】 17歳の頃、ダルボエの体重は50kgしかなかった

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