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“新庄剛志監督”誕生!超ド派手ハーレー登場&伝説のサヨナラ柵越えヒット…《仰天・新庄劇場》は復活する?
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTamon Matsuzono
posted2021/10/30 11:00
2006年、自身初出場となった日本シリーズで日本一を達成。この年で現役を退いたが、監督として再びファイターズのユニフォームを着ることになった
<名言3>
やっと自分に合った環境が見つかりました。球団はニューヨーク・メッツです!
(新庄剛志/Number877号 2015年5月7日発売)
◇解説◇
2000年オフにFA宣言した新庄に対し、阪神は5年総額12億円を提示して慰留。横浜、ヤクルトも3年5億5000万円という好条件を提示していたが、新庄が選んだのはMLBのニューヨーク・メッツだった。しかも、年俸はMLB最低保証額の20万ドル(当時のレートで約2200万円)。
この決断に「お金よりも夢を選んだ」と好意的に受け止める声があった一方で、「TVのアンケートで『日本の恥』と答えた人が98%もいたらしい」といった冷ややかな反応も多かった。
だが、そこは新庄剛志である。「無謀な挑戦」と言われながらも、自力で開幕ロースター入りを果たし、123試合に出場、打率.268、10本塁打、56打点という賞賛に値する成績をメジャー1年目に残したのだった。
野村克也も「天才」と認めた才能
<名言4>
いっぺんに聞くと分かりませんので、今日はこれぐらいにしてください。
(新庄剛志/Number584号 2003年9月4日発売)
1998年限りでヤクルトの監督を辞した野村克也に、阪神は監督就任を要請。野村は日本シリーズの終了を待ってからそれを受諾した。
さっそく秋季キャンプに参加した野村は、阪神に「ID野球」を浸透させるべくバッティング理論を説いた。滔々と語る野村に対し、新庄はひと言、笑顔で言い放った。
「いっぺんに聞くと分かりませんので、今日はこれぐらいにしてください」
この発言以外にも新庄の自由奔放さには、百戦錬磨の野村も驚かされた。だが、過去には「天才」とも言い放ったほど素質を見込んでいた野村は、新庄にピッチャーを勧めたり、4番に据えるなど重宝した。野村にとっても、新庄は新たな学びを与える存在だったのかもしれない。
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