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清原和博「思った通り一流や」&長嶋茂雄「彼は野球界を変える人間」 22年前の松坂大輔(18歳)はプロ野球の救世主だった《引退試合》
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2021/10/20 11:01
1998年度のドラフトで日本ハム、横浜ベイスターズ、西武ライオンズの3球団が競合の末、西武が交渉権を獲得。直後の会見では「意中の球団は横浜でした」と語ったが、西武へ入団した
大阪ドーム開業年以来の超満員の4万8000人が見守った一戦で、松坂は右手中指に異変を感じた。右手に力が入らず制球が定まらない。4回持たず、プロ最短の70球4失点KOで翌4日に登録抹消されてしまう。開幕からローテ入りした右腕に対し、評論家から「投げ過ぎ」と度々指摘があったのは事実だ。デビュー戦からの投球内容は、132球、155球、145球、146球と現代の常識ではありえない球数を高卒ルーキーが投げており、その渦中の故障離脱は議論を呼んだ。
復帰登板は5月16日のオリックス戦だ。“平成の怪物”は本当に大丈夫なのか? ここで滅多打ちでも食らったら、今後の起用法そのものに影響を及ぼしかねないターニングポイント。22年経った今でも、多くの野球ファンがこの試合のことを記憶していることだろう。そう、当時5年連続の首位打者に輝き、日本球界に敵なしだったイチローとの初対決である。
西武ドームで5万人の大観衆が見つめる中、18歳の少年は、この7歳上の天才打者に計18球を投じ、驚愕の3打席連続三振を奪ってみせる。4打席目こそ四球で歩かせたが、松坂大輔の完勝である。恐れるものなど何もなかった。そして、試合後のヒーローインタビューでは、不敵にもこう口にしたのだ。
「今日で、自信から、確信に変わったと思います」と――。<続く>
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