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「クイック攻撃を完全に封じている…」30年前、《リードブロック》という革命を日本に持ち込んだ“アメリカ人のお爺ちゃん”とは?
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byRyosuke Menju/JMPA
posted2021/10/15 11:02
現在では世界の主流となった「リードブロック」。人ではなく、ボールを追って飛ぶ戦術システムは、30年前に海を渡って日本へやってきた
「いちばん熱心だったのは断トツで楊ですね。理解度といい、スピードといい、ズバ抜けて上達が早かったです。どちらかといえばヤンチャ坊主で、練習も嫌いなタイプの選手だった楊が、そうやってリードブロックに興味を示してくれた。彼が必死になって練習したので、他の選手も彼の姿を見てついて行ったのだと思います。彼のおかげでチームに浸透するのが速かったと思っています」
楊にしてみれば、解決方法が見つからず悶々としていた日々に、急にやってきたアメリカ人コーチが、その糸口を見つけるきっかけをくれた。霧がかかっていた世界で、突然、視界が開け、光が見えたような心境だった。
「とにかく練習が楽しくて仕方なかったですね。まずは基礎のステップ練習から入りました。それまでは小学校、中学校、高校、大学と指導を受けたコーチによって違う場合が多かったステップを、マクガウンさんは『全員統一しよう』とおっしゃった。私はバレーボールを本格的に始めたのが大学からだったので、それほどしっかりと基礎を習っていませんでした。だから、ステップもかなりアバウトでした。他の選手も中学や高校で習った延長でプレーしている人が多く、タイミングが合わなかったり、考え方も違ったりしていて、最初は『これをシステム化するのはかなり困難だろう』と思いましたね」(楊)
中村は言う。
「それまでブロックの動きというのは、しっかりと教わった経験がなくて、要は自分がいちばん動きやすくて、速く動ける足の運び方で跳んでいたんです。そこを踏み出す足だったり、歩幅であったりも決まっていて、しかも一種類じゃない。シチュエーション別のステップが決まっているところにも非常に戸惑いました。私は正直、最初はコーチの言うことに全然ついていけなかったですね」
どうしても、それまでの癖が抜けきるまでには、多くの時間を要した。しかし、最初は誰もが難しいと感じたシステム化だったが、マクガウンコーチはコツコツと、地道な方法でチームに植え付けていくことになる。(続く)