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〈秘話〉鈴木みのるのリングイン演出は歌手・中村あゆみプロデュースだった…!? アメリカiTunes Storeで入場曲『風になれ』が1位に
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2021/09/14 17:02
アメリカでも絶大な人気を誇る鈴木みのる(写真は2016年の鈴木軍興行にて)
「いつか中村あゆみさんに自分の曲を…」
もともと鈴木みのるは、高校2年の時から中村あゆみの大ファン。たまたまラジオで聴いた『翼の折れたエンジェル』のレコード(当時はまだCDではなく、レコードだった)が欲しくなり、でも曲名がわからなかったため、地元レコード店のレジ前で、店員に鼻歌を唄って説明して、ようやく手に入れたというエピソードも持っている。
当時の鈴木実少年の夢は「プロレスラーになって有名になること」と「中村あゆみに自分の歌を唄ってもらう」こと。その夢は、27歳の時に現実のものとなる。
20歳でプロレスデビューを果たして以来、鈴木はUWFの若手時代から大ファンである中村あゆみの楽曲を入場曲として使用していた。『Rolling Age』『BROTHER』『BOY'S ON THE ROAD』『太陽の光の中で』『MIDNIGHT HALLELUJAH』と、その時々の自分の置かれた立場や気持ちに合う曲を使用していたのだ。
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そして船木誠勝らとパンクラスを旗揚げ後、音楽関係の友人に「いつか中村あゆみさんに、自分の曲を作ってもらいたいんだ」と打ち明けたところ、たまたまその友人は仕事で中村あゆみとつながりがあり、思いがけずOKの返事がもらえたという。
そして、鈴木みのるが中村あゆみに、自分の格闘技に対する想い、プロレスラーとしての想いなどを伝え、そうしてできあがったのが『風になれ』だった。
サビでのリングインは中村あゆみプロデュース
楽曲が出来上がったときのことを鈴木はこう語る。
「最初のレコーディングのとき、あゆみさんから『できあがったからおいで』って言われて、スタジオまで遊びに行ったんですよ。そしたら、できあがった曲を流しながら、あゆみさんが『ここではまだ入場しないで! ここのタイミングでゆっくり入ってくる。そしてリングに着いたら観客席を見渡して、“かっぜ~に~なれ~!”に合わせてリングに入るの』って、完全に僕が入場するイメージを作ってたんですよ」
そう、鈴木がずっと続けている『風になれ』のサビの部分でのリングインは、中村あゆみプロデュースだったのだ。
そして中村あゆみ自身、『風になれ』を作詞、作曲したときの想いをこう語っている。