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21戦全勝中谷潤人が本場デビュー 23歳“井上尚弥に次ぐエース候補”が明かす「僕が“愛の拳士”を名乗る理由」
text by
杉浦大介Daisuke Sugiura
photograph byAFLO
posted2021/09/10 11:03
現地時間9月10日、WBO世界フライ級王者・中谷潤人が元WBO世界ライトフライ級王者アンヘル・アコスタ(プエルトリコ)の挑戦を受ける
アコスタ選手はパンチがあるのでガードは意識しています。1発でももらったらダメ。長いラウンドも戦えて、得意なパンチをしっかりと当ててくる上手さがあるので、そんな強敵にどう対処するか。アコスタ選手は身体が立ち気味なので、田中恒成選手(畑中)との試合ではボディを打たれるシーンがありました。僕もボディや左フックは当てられるので、それらを使っていければと考えています。
10代で単身渡米「人と違うことをやりたかった」
中谷のキャリアを辿る上で特筆されるのは、中学卒業後、高校には行かず、プロボクサーとしての成功を目指してアメリカのジムでの練習を開始したことだ。
三重県にジムを構えていた石井広三会長が若くして亡くなると、10代半ばで単身渡米。そこで多くの世界王者を育て、畑山隆則をはじめとする日本人選手たちとも深い関係を築いてきた名匠ルディ・エルナンデス・トレーナーと出会う。その後のトレーニングで培ったものが、中谷の礎になっていることは想像に難くない。
当初、高校に行かないという選択は両親ですらも躊躇したと伝えられる。それでも中谷の決意は変わらなかった。そんなエピソードは、一見すると大人しい細身のボクサーが強固な意志を持っていることを物語っているのだろう。
石井会長の生前、地元の三重県でアマチュアの試合にも出させてもらったりしていた頃から、アメリカで練習する話は頂いていました。石井会長も現役時代にアメリカで合宿したことが何度かあって、ジムの知り合いの方を通じて「そういう形もあるよ」と聞いていたんです。その後、会長が亡くなり、しばらく指導者がいない時期があったので実際に行くことになりました。僕は高校に行かず、その頃からプロでやっていきたいと思っていたので、それなら人と違うことをやりたかったんです。
アメリカで練習するメリットは、スパーリング中心でできること。そして、ルディさんと(同じジムでトレーナーを務める)岡部大介さんには本当に小さい頃から教えて頂いているので、彼らに練習を見てもらえるのがすごく大きいです。
リカルド・ロペスはタイプ的に被るところがある
中学卒業後、アメリカに2回目に行った時にルディから「リカルド・ロペス(メキシコ)を見た方がいい」と言われたんです。それまでは山中慎介選手や長谷川穂積選手の映像を見させてもらっていたんですけど、それからはロペスをよく見るようになりました。