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《視聴率56.4%の開会式》海老蔵と木遣り歌は“政治案件”だった…では“不評”の23年前長野五輪の開会式を覚えていますか?
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byJIJI PRESS
posted2021/07/28 11:06
東京五輪開会式、市川海老蔵が披露した『暫(しばらく)』
一方、こちらは浅利の意志で、開会式の内容を1年前に早々と発表している。サプライズを退けるなど、いまでは考えられないことだが、これについて彼は、《開会式やオリンピックというのは、開けてビックリ玉手箱的な、そういうことになるべき行事ではないと思います》と述べている(『浅利慶太の四季 著述集4 21世紀への眼差し』慶應義塾大学出版会)。ここには、回を追うごとにショーアップが派手になっていくオリンピックへのアンチテーゼという意味合いもあった(ただし、開会式の時間が昼で、ショーアップで大きな要素となるライティングが使えないとわかった時点で、こうした姿勢をとらざるをえなかった面もあるように思う)。
オリンピックで開会式がショーアップされるようになったのは、おそらくハリウッドのプロデューサーのデイヴィッド・L・ウォルパーが演出を担当した1984年のロサンゼルス大会あたりにさかのぼるのだろう。その傾向は、1992年のバルセロナ大会以降、夏季五輪の開会式が夜に行われるようになって拍車がかかった。バルセロナ五輪の開会式では、アーチェリーの射手が聖火台に向けて火矢を放ち点火したことも話題を呼んだ。
開会式が派手になっていく流れは、開催国・選手数・競技数の増加によるオリンピックの巨大化と軌を一にしている。それにともない開会式の時間も長くなっていく。1964年の東京大会では約2時間だったのが、1984年のロス大会では約3時間半にまで延びた。さらに1996年のアトランタ大会の開会式は、午後8時45分にスタートし、聖火が点火されたときには日付をまたいで午前0時27分を回っていた。以降、開会式が4時間近くにおよぶことは珍しいことではなくなる。
長野五輪のときこそ「最近の開会式は長すぎる」との浅利の判断で、2時間と短い構成になったが、その後の大会で踏襲されることはなかった。今回の東京五輪も、ショーの時間が若干短縮された印象はあったとはいえ、入場行進で感染予防のため各国選手団の間隔を空けたせいもあってか、結局、聖火が点されるまで3時間47分かかった。
今回の開会式は“地味すぎた”のか?
巨大化の一途をたどったオリンピックは、もはやひとつの都市で開催するにはあまりに負担が大きすぎるイベントとなっている。東京五輪の開幕に先立ち、2032年大会の開催地にオーストラリアのブリスベンが決まったが、11年先の大会まで早々に決めておかねばならないというところに、このままでは立候補する都市がなくなり、大会が継続不能になるというIOCの危機感が表れている。