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《視聴率56.4%の開会式》海老蔵と木遣り歌は“政治案件”だった…では“不評”の23年前長野五輪の開会式を覚えていますか?
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byJIJI PRESS
posted2021/07/28 11:06
東京五輪開会式、市川海老蔵が披露した『暫(しばらく)』
オリンピックはいずれ、すでに一部で声が上がっているように、複数の国をまたいでの分散開催なども真剣に検討しなければならないときが来るだろう。そのとき、開会式はどんな形をとるべきなのか。ひょっとすると、もっとコンパクトにする必要もあるのかもしれない。
今回の東京五輪の開会式は、コロナ禍のさなかということもあり、出演者も極力少なくし、派手な仕掛けを抑えた演出となった。そのため地味すぎたとの評も聞かれる。だが、そもそもオリンピックの開会式に派手なショーは必要なのだろうか。サッカーのワールドカップなどほかのスポーツの国際大会ではたいてい開会式はあっさりしているのに、なぜオリンピックだけは巨額の費用をかけてショーアップした演出が行われるのか? 入場行進や聖火点火など基本要素のみで済ませてはいけないのか? オリンピックを今後も持続していくのであれば、開会式のあり方についても、このようにいくつもの問いを立てながら根本的に考え直す必要があるだろう。その点において今回の開会式が示唆するところはけっして少なくないはずである。(文中敬称略)