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【引退】35歳福澤達哉、東京五輪の夢叶わずもスマートに去る…“あの福澤が”と周囲が驚く変貌「挑戦したからこそ見える世界だった」 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byPanasonic PANTHERS

posted2021/07/15 17:00

【引退】35歳福澤達哉、東京五輪の夢叶わずもスマートに去る…“あの福澤が”と周囲が驚く変貌「挑戦したからこそ見える世界だった」<Number Web> photograph by Panasonic PANTHERS

引退会見で丁寧に言葉を紡いだ福澤達哉(35歳)。涙が溢れる場面もあったが、次のステージへ向けて希望を感じさせる笑顔を見せた

 初めて海を渡ったブラジルリーグ(2015-16シーズン)で、プロとして生きる選手たちを目の当たりにしたこともプレースタイルを変えるきっかけとなった。実際、18年以降の日本代表では徹底的に泥臭くレシーブを磨き、時にはこの1点をもぎとってやるとばかりに、両手でのフェイントで相手コートにボールを押し込む姿もあった。

 33歳で渡ったフランスリーグでは、スピンをかけたサーブで取ったポイントの後に見せるドヤ顔も、板についていた。

「若い頃は“こうなりたい”と思ってやり続けてきましたが、リオ(五輪の予選)を終え、東京を目指すと決めて、マインドを切り替えた。昔とは全く違うプレーをするようになったと思いますし、このチーム、日本代表で何が求められるのか。どこで自分が生きていくことができるのか。この1年、1年が今までの競技生活の中で一番濃い時間で、それはあの時諦めずにもう一度、自分の目標に向かって挑戦したからこそ見える世界だった。その中で何事にも代えがたい貴重な経験を積むこともできましたし、最後まで日本を代表して世界と戦えたことも、誇りに思っています」

 福澤の全盛期はいつだったか――そう問われたら、きっと人それぞれ挙げる時期は異なるはずだ。若さを前面に出し、軽やかに跳んでブロックを気にせず叩き込んだ頃か。それとも北京五輪で全敗の悔しさを抱えて、エースとして逞しさも発揮し始めた頃か。

 いや、やはり度重なる苦難や悔しさを噛みしめながらも立ち上がり、若い選手から“兄貴”と慕われたここ数年か。

 つい最近に目を向ければ、こんなシーンもあった。東京五輪のバレーボール会場となる有明アリーナで行われた中国との親善試合。5月1日の初戦、第1セットの13-16と中国にリードされた場面で高橋藍に代わり、ワンポイントで投入された福澤は、涼しい顔でオーバーハンドのレシーブをして見せた。あの背中は、これまで見てきたどの後ろ姿より大きく、頼もしく見えた。

 決して主役ではない、たった1プレーであっても、若者を助けるべく責務を果たす。まるで職人、守備の切り札のごとく投入される福澤が、数カ月後に日本代表としてこのコートに立つ姿を思い浮かべるのはごく自然で、ただただ楽しみだった。

 だが、その時が来ることはもうない。

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