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壮絶なイジメ、解雇事件…絶対的エース・大林素子はバレーでいかに“復讐”したのか「信用したって点はとれない」
posted2021/07/14 11:04
text by
河崎環Tamaki Kawasaki
photograph by
Shigeki Yamamoto
ボールを「落としたら死ぬみたいな、自分の寿命」と表現したのは、元バレーボール日本代表のオリンピアン・大林素子である。壮絶ないじめを経て、絶望を知った幼少時代に「生きるため」と居場所を求めて飛び込んだのがバレーボールの世界だった。
彼女はいかにして「生きるための居場所」であり「復讐の手段」にもなった、バレーボールと出会ったのか――。恩師との運命的な出会いから現役引退までを聞いた(全3回の2回目/#1、#3を読む)。
“選手のサイン欲しさ”に全日本監督へファンレター
東京都小平市で育った大林が『アタックNo.1』に憧れて中学でバレーを始めたとき、憧れの選手はちょうど10歳上の江上由美だった。「ワールドカップを見て、江上由美さんを好きになって、バレー雑誌で色々調べたんです。そしたら江上さんが所属する日立の特集記事が載ってて、小平市で、なんなら電車で2駅、自転車で15分で行ける。なんだ地元じゃん、と」。
江上さんのサイン欲しさに、当時の日立バレーボール部監督・山田重雄氏に手紙を出したのは、中学2年生の時だった。そして、そのファンレターの返事は驚くほど早く届いた。
「すぐに電話がかかってきて、『一度日立に遊びにいらっしゃい』と。その秋に小平二中のバレー部員を全員引き連れて、日立の練習を見に行きました」
当時の日立バレーボール部と言えば、江上、三屋裕子、森田貴美枝、中田久美、杉山加代子、廣紀江ら日本代表主力選手が在籍する、日本女子バレー界屈指の強豪チームだった。
「数年後にロサンゼルス五輪に出るようなハイレベルな先輩方を生で見て、キャーキャー言っていたら、山田監督が急に『せっかく練習見に来たんだから、一緒に練習していきなさい』と言ってくださって。私だけ江上さんのユニフォームをお借りして、小高(笑子)さんのポジションに入らせていただきました」
当時の大林は、身長176センチほど。「体がほぼできあがっていた」こともあり、山田監督は「どんなものか見たかった」のだろうと大林は推測する。「でも、その日の練習で、全く出来なかったんですよ。中学と実業団ではそもそもネットの高さも、ボールの大きさも違う。あげく、中田さんのトスが速すぎて空振りして睨まれるみたいな(笑)。『日本代表、こわ~い』って感じで、何もできなかったです」。
名将が「次のオリンピックに出られるかもしれないよ」
練習が終わって、中田や江上などスター選手と写真を撮り、サインやたくさんのお土産をもらって機嫌よく帰ろうとした大林に、山田監督が声をかけた。「君、今日練習見たけど、正直まだ使えないね。でももし君に、オリンピックに行きたいという気持ちが本当にあるなら、明日からうちの練習に参加しなさい。そうしたら、次のオリンピックに出られるかもしれないよ」。大林は、江上のサイン欲しさに、山田監督への手紙に「オリンピックに出たいです」と書いていたのだ。