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小笠原道大らファイターズ戦士たちに刻まれる大島康徳の姿…敗色濃厚でも汗びっしょりで代打の準備「とにかく熱い人だったから」 

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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posted2021/07/10 06:00

小笠原道大らファイターズ戦士たちに刻まれる大島康徳の姿…敗色濃厚でも汗びっしょりで代打の準備「とにかく熱い人だったから」<Number Web> photograph by KYODO

監督就任後、初の秋季キャンプで選手たちを見守る大島康徳監督(1999年11月5日)

 導きから、劇的に変わったケースがある。五十嵐氏が苦手としていたのが、オリックス・ブルーウェーブの技巧派サウスポーの星野伸之氏だった。独特の軌道を描く、大きな変化をするスローカーブが特長。その球種への対応に、苦慮していた時である。右打者であるため攻略の手札として起用されることが多かったが、応えられないことが多かった。大島氏からの1つのアドバイスで、開眼したそうである。

 カーブを待ち切れずに体勢を崩されるのが打ち取られる際のパターン。通常時よりも早めに左足を踏み出すようにステップをアレンジして対応するように進言されたことで、その宝刀を快打できることが増えたという。

「星野のカーブが怖くなくなったので、そこからストレートとかも含めて少しずつ打てるようになっていった」

 大島氏が、監督に就任してからはコーチとして仕えた。「大島さんには、よく『シンイチ、教え方がなってない』と。とにかく、熱い人だったから」と笑う。現役時代、そして指導者としても、大きな心に包み込んでもらったのである。

「野球は最後まで何が起きるか分からんぞ」

 野球人生のスタートラインから、すべてを学んだ人もいる。

 OBで愛称「ガンちゃん」の岩本勉氏は現役をともにし、エースとして監督時代の大島氏と戦った1人である。ルーキー時代の初対面は、合宿所の風呂場だった。扉を開けると、球団のスター選手の大島氏と遭遇したという。

 高卒新人の18歳は思わず「大阪の八尾っちゅうところから来ました岩本です」と挨拶したという。すると、たしなめられたという。岩本氏は述懐する。

「大島さんに『八尾というところから来ました』と言え、と。ちゃんとした日本語を使う大切さということを、まずは学びました」

 投手と野手ではあるが、一流のプロ野球選手のすごみ、姿を目の当たりにして感化されたという。あるシーンが、今も脳裏に残っている。岩本氏によれば「4、5点ビハインドくらいで、もう7回か8回の終盤」という展開の一戦。敗色濃厚だったが、ベンチ裏のスイングルームで代打の準備をしている大島氏から、こう声を掛けられたという。

「ガン、野球は最後まで何が起きるか分からんぞ。辛抱していけ」

 大島氏に目をやると、汗びっしょりになって準備をしていたという。

「野球マンガとかでバットを振る時によく表現されるような『ギュッ』、『ギュッ』っていう音が、本当に聞こえてきた。あれには、びっくりした」。

 大島氏がバットのグリップを両手で力いっぱいに絞り上げて素振りをすると、現実世界では耳にしたことがないような音が響いてきたのだそうだ。

【次ページ】 「落ち込んでいるところは見たことがない」

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