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エリクセンはメンバーに残したまま、イングランドとの決戦へ…寒村育ち“バイキングの末裔”デンマークの勇猛果敢な戦い
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2021/07/07 17:00
優勝した1992年大会以来となるベスト4進出を果たしたデンマーク。初戦のアクシデントを乗り越え、勇猛果敢な戦いを続けている
ユルマン監督は、彼らなりの技巧と謀略の限りを尽くしている。
2年前、彼は堅守で知られるアトレティコ・マドリーの練習場に出向いて、指揮官シメオネに研修を頼み込み「ゴール前20メートルの守り方を学ばせてもらった」(同監督)。
“デンマークのサッカーはエコでクリーンで地球に優しい”
そんな、洗剤のCMみたいな安っぽい言葉は要らないのだ。
筆者はグループステージの舞台となったコペンハーゲンのスタジアム「パルケン」に、CLの取材で行ったことがある。
試合前に記者席からグラウンドに降りてみた。観客席から目と鼻の距離で見やすい一方、グラウンドレベルから見上げるゴール裏スタンドは、屹然とそそり立って威圧感があった。12月だというのに柔らかい芝の緑がとても綺麗で、手入れが行き届いていた。
「監督、やっぱりこれ以上無理だ」と交代を申し出る
先月12日の夕刻、フィンランドとの第1戦の43分目にエリクセンが倒れたことでデンマーク代表は大きく動揺した。
試合は中断され、エリクセンの病院搬送と容態安定が確定するや否や、選手たちはすぐ試合を再開するか、それとも翌13日正午から再開するか、二者択一を迫られた。
両チームの代表がUEFAと協議した末、前者が採用されたが、仲間の生死の際に直面したばかりの選手たちに「試合再開時刻の指定という重大な選択を強いたUEFAは主催者として無責任だ」という批判が、後にデンマーク国内で起こった。先頭に立ったのは同国の英雄ミカエル・ラウドルップや、奇跡の優勝を果たした92年大会の守護神ピーター・シュマイケルだった。
同日再開したフィンランド戦で敗れたユルマン監督は試合後、悲痛な面持ちで翌日再開という選択肢はありえなかったと訴えた。
「もし翌日再開としていたら、確実にうちの選手たちは不安と心労で一睡もできなかっただろう。どうやったらそんな心身の人間をプレーさせられるというんだ」
あの日、グラウンドを後にしてホテルに帰っていたら――。
エリクセンの身に起こった不運への嘆きと、次は自分かもしれないという恐怖が、夏の夜に代表選手一人ひとりの心を蝕んでいただろう。そうなれば、大会どころではなくなる。デンマーク代表にとって、一晩間をおくとはそういうことだった。