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酷暑“ドーハの勝利”で負った深刻なダメージ…「悔しい気持ちもありますが」五輪代表を辞退した競歩・鈴木雄介の無念

posted2021/06/27 11:00

 
酷暑“ドーハの勝利”で負った深刻なダメージ…「悔しい気持ちもありますが」五輪代表を辞退した競歩・鈴木雄介の無念<Number Web> photograph by AFLO

深夜も気温が30度を上回ったドーハの地で執念の歩みを見せた鈴木。今年5月の大会にもエントリーしていたが、欠場するなどダメージは大きかった

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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 6月22日、競歩50kmの東京五輪日本代表、鈴木雄介が代表辞退を発表した。

 コンディショニング不良をその理由としているが、鈴木は2019年のドーハ世界選手権の50kmに出場し金メダルを獲得し、五輪での活躍が期待されていた。だがそれ以降、特に2020年度になってから回復力の低下が著しかったという。そのため大会への出場を控え、調子を取り戻すことに努め、今春には練習を再開できるようになった。それでも高負荷のトレーニングをするところまでには至らなかった。

「自分が望む結果を得るための状態まで仕上げていくことは困難と判断し、今般の決断に至りました」

 所属する富士通を通じて、こうコメントを発表した。

 鈴木が五輪代表内定を決めたドーハの世界選手権は、のちのちに波紋を呼ぶ大会となった。

 高温多湿であることから、マラソンが23時59分、競歩は23時30分スタートとしたが、棄権者が続出。例えば女子マラソンは出場した68人中、途中棄権は28人に及んだ。指導者から「こういうレースは二度と走らせたくない」という声が出るほどだった。

 競歩の男子50kmも46人中18人が棄権する事態に。優勝した鈴木も、「(最後まで)もつか、不安でした」と語り、東京五輪のコース変更を訴えた。

 それを受けて、東京五輪のマラソンと競歩は札幌に変更されることが決定した経緯がある。

 そのレースで鈴木は序盤に先頭に立ち独走するという強さを見せつけた。だが、あまりにも苛酷な環境で、肉体の消耗は激しかった。

 その心中はいかばかりか。これまでのオリンピックとのかかわりを思えば、それを考えずにいられない。

36位に沈んだ初めてのオリンピック

 初めてオリンピックに出場したのは2012年のロンドン五輪20km。このときは腹筋がけいれんするアクシデントの影響もあり、36位にとどまった。

 巻き返しを誓った鈴木は、その後ひとまわり成長した姿を見せる。2015年には国内の大会で世界記録を更新し優勝を果たし、メダル候補として脚光を浴びた。

 だが、順調に歩むことはできなかった。

【次ページ】 東京五輪の先に鈴木が見据えるもの

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