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万引きのはじまり、だまし取られた財産、7度の逮捕… 家族との関係も壊れた原裕美子が病の公表を決意した瞬間
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2021/04/30 06:03
2005年の名古屋国際女子マラソン優勝から始まった原裕美子のマラソン選手としての人生は波瀾に満ちていた
弱い自分さえも受け入れてくれる人の存在
得られた「財産」もある。自分を受け入れられるようになったことだ。
「自分を肯定しようと思って肯定しているわけではなくて、だめなところ、弱い部分を打ち明けたうえで、それでも私を受け入れてくれる人がいる。だめな自分を隠さなくていいんだと思えるようになったところが肯定感につながっているように思います。今は、過去は変えられないけれど未来は変えられるんだと思えるようになりました」
いつしか手にしていたものもあった。「居場所」である。
「たぶん京セラに入ってからかな、1人でやっていけるんだ、強くなれるんだ、自分は1人でいいんだと思うようになっていました。ユニバーサルでも無理して仲間を作る必要はないと思っていました。自分がいちばんの敵だと思っていましたし」
だが度重なる苦しみに、心が安らぐ場所が欲しいと思った。
こもっていたシェルターから出るように隠しごとを打ち明けると、周囲の支えが目に映るようになった。信頼できる店主夫婦が営む居酒屋で働く中で心許せる仲間ができ、取り組み始めたマラソン大会の手伝いではスタッフやランナーと楽しみを分かち合った。いる場所ができた思いがした。
「食べ物を五感で味わえるようになってきました」
食べ吐きは「まだ克服していない」という。
「体重に関してはぜんぜん気にしていなくて、家には体重計もないし、体重測定も3月に会社の健康診断でしたのが数年ぶりのことです。でも食べ吐きに完治はなくて、するときはしてしまいます。でもだいぶ減ってきたし、何とかしようと真剣に考えてくれる友達、仲間が増えてその人達を頼ることができるようになりました。それが今と昔のいちばん大きな違いです」
ふと、原は切り出した。
「朝から晩まで食べ吐きを繰り返しているときは、お腹がいっぱいになればいいという感覚でした。今は料理1つ1つを楽しめるようになって、五感で味わえるようになってきました。ビールでも1つ1つ味も香りも違うし、コーヒーもそう。作る人に感謝の気持ちも持てるようになりました。
これは私が病気のことや自分の弱さ、過去の辛い出来事を全て打ち明けた結果、親身になってくれた友達や仲間が気づかせてくれたことなんです。こうして一歩一歩前進しています。だからこそ、心に苦しみを抱え込んでしまっている人たちは1人で悩まず、信頼できる人に相談してほしい。そう思います」
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