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貧困を乗り越えた妖精シャラポワのダークサイド… 10代時のライバルを「甘やかされたガキ」と言い放つ攻撃性【34歳に】
posted2021/04/19 17:01
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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Getty Images
<名言1>
私がこうしてみんなに知ってもらえているのは、アメリカに行ったおかげ。ロシアだったら埋もれていたと思う。
(マリア・シャラポワ/Number549号 2002年5月9日発売)
◇解説◇
シベリア生まれの少女が、フロリダのニック・ボロテリー・テニスアカデミーに入門したのは7歳になる前のことだった。当時極めて困難だったアメリカ行きのビザを取得した父ユーリだったが、フロリダに到着したときにユーリの所持金はなんと「700ドル」だけだったという。なおかつ、英語も話せなかったのだ。
「私にも家族にももちろん迷いはあったわ。でも、テニスをする環境は間違いなくアメリカのほうが整っている」
きっかけはモスクワのキッズイベントでマルチナ・ナブラチロワの目に止まり、アメリカ行きを勧められたことだったが、家族にとっても大きな覚悟を強いられたのは間違いない。しかし、この決断がなければシャラポワの成功はなかっただろう。
<名言2>
(シャラポワは)自分の力で復帰すべきだと思う。
(アンディ・マリー/Number923号 2017年3月16日発売)
◇解説◇
女子テニス界の象徴的存在だったシャラポワのキャリアが暗転したのは、2016年の全豪オープンのことだった。大会期間中の検査でメルドニウムの陽性反応が出たことにより、ドーピング違反で1年3カ月の出場停止処分を受け、多くのスポンサーが去っていった。そんな彼女が復帰することになったのは、2017年4月のポルシェ・グランプリだった。
当時シャラポワは1年以上公式戦に出ていないため、ランキングは消滅していた。そのため大会主催者は主催者推薦枠で出場させる意向だと伝えられていたが、これに異を唱えたのがマリーだった。
テニス界のみならずスポーツ界全体を揺るがす違反行為で処分を受けたのに、こんなに簡単に復帰していいものか。スター選手なら何をしても許されるのか。誰もが思う疑問だが、マリーが口にすると重みはさらに増したのだ。
「ビッグネームの出場がチケット販売につながると思えば、彼らはそうするだろう」
マリーはこう皮肉った。