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フランクの交通事故、ピケとマンセルの不仲、最終戦の悲劇…F1ブームでホンダが黄金時代を迎えるまでのウラ側
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2021/03/11 11:01
86年に優勝争いをした3人。ドライバーズタイトルは、ピケとマンセルの激闘の間隙を縫うかたちでプロストが手に入れた
「確かにナイジェルが『ネルソンの方が良いエンジンを搭載している』という噂についてホンダに真偽をただしていたことがあった。するとホンダは『ここには5つの新しいエンジンがある。ナイジェル、君が好きなエンジンを選んでいいよ』と言うんだ!!」
ホンダとウイリアムズ、それぞれの黄金時代
87年にはピケがチャンピオンに輝き、ダブルタイトルを獲得したウイリアムズ・ホンダだったが、彼らが本当の意味で黄金時代を迎えるのは、その後のことだった。しかも、それは「ウイリアムズ・ホンダ」としてではなく、それぞれ別のパートナーと手を組み、両者がライバルとして戦う中で成し遂げられたものだ。88年にマクラーレンと組んだホンダは91年まで4連覇を達成。そのホンダの黄金時代を止めたのが、89年からルノーをパートナーに迎え、92年にハイテクマシンを完成させたウイリアムズだった。
もっとも、ホンダとウイリアムズがF1の世界で交錯したのは、その92年が最後となった。その後、ホンダは撤退と復活を繰り返し、21年限りでF1参戦を終了する。
一方、ウイリアムズは97年を最後にタイトルから遠ざかり、ヘッドは11年限りでF1から引退。ウイリアムズというチームも20年のシーズン途中に売却され、チーム名は残っているものの、創始者であるフランク・ウイリアムズは身を引き、新たなスタートを切っている。
ホンダにとっても、ウイリアムズにとっても、80年代から90年代にかけてのあの時代が、最も輝いていたことに変わりはない。