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夢の3番清原(30歳)、4番松井(23歳)、5番高橋(23歳)…98年高橋由伸を超える“天才ルーキー”は現れるか? 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/03/06 17:03

夢の3番清原(30歳)、4番松井(23歳)、5番高橋(23歳)…98年高橋由伸を超える“天才ルーキー”は現れるか?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

98年に巨人入り。ルーキーイヤーから打率.300、19本塁打、75打点の成績を残した高橋由伸

 全セの「1番右翼」で起用されると、第1戦で2安打1打点としっかり結果を残し優秀選手賞を獲得。なお外野フェンス前からホームベースに向かっての送球で強肩を競う「返球コンテスト」では、イチローと並んで最高得点を記録した。野球少年たちは、その一本足打法だけでなく、由伸が打球を追う際に負担にならないようグローブは普通の外野手よりひと回り小さく、手の甲の部分を革ではなくメッシュにしていると聞けばこぞって真似をしたがった。

“ミスター以来”の打率.300

 雑誌『ぴあ』98年7月27日号の花火大会特集号で、堂々と表紙を飾ったゴールデンルーキーの勢いは止まらない。後半戦の巨人は、ガルベスが7月31日の甲子園で判定に怒り審判へボールを投げつける騒動を起こし、ミスターは責任を取りけじめの坊主頭に。そんな暗いムードを吹き飛ばしたのはやはり背番号24のバットだった。8月4日、広島のベテランサウスポー大野豊から東京ドームのバックスクリーンへ第12号逆転3ランを放ち、42歳の大野が現役引退を決断するきっかけとなる。なお、このシーンを東京ドームで見て由伸ファンになった小学生が、生まれて初めてのプロ野球観戦をしていた丸佳浩(現巨人)である。

 最終的に98年シーズンは、“マシンガン打線”の横浜が38年ぶりの優勝を飾り、巨人は6ゲーム差の3位。高橋由伸の1年目打撃成績は126試合、打率.300、19本塁打、75打点、OPS.852。規定打席到達の打率3割はセ・リーグ新人では長嶋茂雄以来40年ぶりの快挙。32二塁打もミスターに次いで新人歴代2位である。新人王こそ14勝を挙げた大学時代からのライバル川上憲伸(中日)に譲ったが、リーグ特別表彰を受け、12捕殺を記録した守備では外野手としては新人史上初のゴールデングラブ賞にも輝いた。なお、攻守に躍動する1つ年下の天才プレーヤーの出現が刺激になったのか、98年の松井秀喜は自身初の本塁打と打点の二冠を獲得している。

広末とCMも “1998年の高橋由伸”を超えるルーキー野手は現れるか

 そして、1年目を終えた背番号24はオフに自動車、お菓子、ファッションブランドとCM業界を席巻することになる。スーパーアイドル広末涼子とも共演し、人気ピーク時にはダイハツから新型スモールキャブワゴン「アトレー7」の高橋由伸バージョンが発売された(24番ユニフォーム風シートカバー&「Yoshinobu」ロゴ入りカーペットマット付きで170万円也)。

 今思えば、21世紀が近づいていた90年代後半、球界は新世紀の象徴となるニュースターを欲していた。そこに登場したのがまっさらな“1998年の高橋由伸”だった。彼は誰よりも新しく、なにより格好良かった。55番のゴジラ松井が伝統の継承者ならば、由伸は新時代の旗手だった。

 確かに、ほとんど巨人戦ナイター中継しかなかったあの頃、日本中の野球小僧たちがテレビの前に座り、その背中になにかを見た。大げさに言えば、プロ野球の希望とか未来みたいなものだ。そう、のちの村上宗隆少年のように、だ。

 背番号24に憧れて――。

 あれから23年が経ったが、高橋由伸以上の成績とインパクトを残した新人野手は、いまだに現れていない。

 See you baseball freak……

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