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【ウッズも復帰を】「死亡」の誤報も出た大事故から“歴史的なカムバック”…ベン・ホーガンの不屈の精神とは?
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byGetty Images
posted2021/03/03 11:02
バスと正面衝突する大事故に遭いながらも、不屈の精神でカムバックしたベン・ホーガン。ウッズは事故の2日前、ホーガンの銅像があるリビエラCCを訪れていた
「ホーガンが死亡した」という誤報が出るほどの
事故に遭遇したのは1949年、奇しくも同じ2月だった。それまでにホーガンはツアーで53勝(メジャー3勝)を挙げており、同年も早くも2勝を挙げていた。
アリゾナ州でのフェニックスオープンを終え、ホーガンは自動車を運転しながらバレリー夫人と一緒に東のテキサス州にある自宅に帰っていた。中継地点で一泊し、ハイウェイ80号線で同州内のバンホーンを走っていた2日午前8時半頃のことだった。
当時は霧が濃く、視界が悪かったという。橋に差し掛かると、ホーガンはキャデラック車の速度を時速25マイルほどに落とし注意深く走行していた。ところが反対車線のトラックの影から、追い越しを試みたバスが目の前に飛び出てきた。
まだシートベルトが一般的でなかった時代。ホーガンはその瞬間、妻を守るため助手席に覆いかぶさった。バスと正面衝突した車体は前面が押しつぶされた。
周囲の人に車から引きずり出されたホーガンは、「妻を助けてください。私は大丈夫」と口にして失神した。大丈夫なはずがない。1時間半後に救急車が到着。さらに2時間半かけて搬送された病院で、骨盤から足首、ひざ、肋骨、鎖骨、内臓…あらゆる箇所の外傷が発覚した(ウッズは市民からの通報後、数十分で近隣の病院に搬送された)。事故直後は「ホーガンが死亡した」という誤報もあったという。
もし運転席にいたままだったら
だが、ホーガンは生きていた。身を挺して夫人を守ろうとした咄嗟の行動が、結果的に自身の命を守ることにもつながった。衝突時に運転席にいたままでは、ハンドル部分で車の操舵を担う、ステアリングコラムが身体に突き刺さっていた可能性が高かったそうだ。
治療とリハビリを経て、ホーガンは事故から11カ月後の翌年、リビエラCCでのLAオープンで復帰した。サム・スニードとのプレーオフ(当時は18ホールだった)に敗れながら2位になった。そして同年6月の全米オープンで見事、復活優勝を果たした。