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シニア入り目前でのグリップ改造。
1から出直す丸山茂樹のゴルフ道。
posted2019/03/20 17:00
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Keigo Amemiya/Number
1打1打に精魂込めて人生を過ごしてきた因果とでもいうのか、ゴルファーの血というものは、どれだけ長く眠っていたとしてもすっかり失せてしまうものではないらしい。
3月12、13日とアジア初開催となる全米ゴルフ協会のゴルフシンポジウムが都内で行われた。丸山茂樹は東京五輪組織委員会でスポーツディレクターを務める室伏広治とのトークセッションに参加した。
アテネ五輪男子ハンマー投げ金メダリストとの話題は、自然と「五輪」へと行き着いた。
ゴルフが112年ぶりに競技に復活した2016年のリオ五輪。日本代表のヘッドコーチを務めた丸山は大役を任された栄誉を感じつつも、大いに盛り上がった競技を間近で見ていると、選手としての思いの方が強く頭をもたげてきたという。
「なんで自分は選手じゃなくて監督なんだろう。監督でも幸せなんだけど、やっぱり現役の、いい時代に(選手として)出たかった。見ているだけではさみしかった」
米ツアー3勝を挙げた名手も近年はゴルフ中継の解説者にラウンドレポーター、ラジオパーソナリティーなど、選手以外の活動が目立つ。元々、話芸は達者だったが、シンポジウムでゴルフ界のお歴々を前に話す姿もすっかり堂に入ったものになっていた。
「ゴルフが全くできないと思った」
ドライバーイップスなどの不調を引きずったまま米国から日本に主戦場を戻したのが'09年。左手親指付け根の慢性的な亜脱臼に苦しみ、'16年9月のANAオープンを最後にツアーから遠ざかった。手の痛みは日常生活にも支障が出るようになって、とうとう手術を受けたのが約2年前のことである。
「本当にゴルフが全くできないんじゃないかと思うところまでいったんでね。時松がああやって出てきてくれなかったら、あのままゴルフをやめていたかもしれない」
ゴルファー人生の瀬戸際にあって、地獄に垂れた1本の糸に丸山はすがりついた。
それはグリップの大改造だった。