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共同通信杯は皐月賞に“直結”? 今月で引退・蛯名騎手とイスラボニータが歩んだ2014年のクラシック道
 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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posted2021/02/12 17:00

共同通信杯は皐月賞に“直結”? 今月で引退・蛯名騎手とイスラボニータが歩んだ2014年のクラシック道<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

皐月賞でのイスラボニータ。共同通信杯でステップアップしたこのヤンチャな馬が牡馬クラシック第一弾を制した

蛯名騎手も、栗田師も、ダービーは惜敗が続いた

 ところで先述のイスラボニータはその後、古馬になるまで息長く走り、4歳時の15年のマイルチャンピオンシップ(GI)や6歳となった17年の安田記念(GI)でも1番人気に支持された。また、ラストランとなった17年の阪神カップ(GII)を見事に勝利して、有終の美を飾ってみせるのだが、皐月賞を勝った後は日本ダービーに挑んでいた。今度は1番人気に支持されたが、2着に敗れた。これが蛯名騎手にとっては04年のハイアーゲーム(キングカメハメハの3着)、12年のフェノーメノ(ディープブリランテの2着)に続く3回目の惜敗。後に16年にもディーマジェスティでマカヒキの3着に惜敗しており、とうとうあと少しのところで手が届かないまま引退を迎える事になってしまった。

 また、それは管理した栗田調教師にとっても同様だった。栗田調教師にとっては1984年のフジノフウウン(シンボリルドルフの3着)、86年のグランパズドリーム(ダイナガリバーの2着)に続く3回目の惜敗となり、ついに勝つ事なく一昨年厩舎を畳んだ。ちなみにイスラボニータに勝ってダービー馬となったのはワンアンドオンリー。同馬はハーツクライ産駒だったが、そのハーツクライの母はアイリッシュダンス。現役時代、栗田調教師が管理して牡馬を相手に新潟大賞典(GIII)や新潟記念(GIII)を勝った名牝だった。栗田調教師の悔しさが手にとるように分かる結果なわけだが、それはまた別のお話。機会があれば改めて記させていただこう。

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