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玉鷲に聞く 「カド番大関」「すでに7敗」の兄弟子・琴奨菊に勝ったとき何を思ったか
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph bySankei Shimbun
posted2021/01/18 11:00
2017年の初場所で、玉鷲(左)に敗れた琴奨菊は大関陥落となった
「みんな、菊関に大関でいてほしいと思っている」
新関脇だった'17年初場所は11日目の時点で6勝5敗。発表された翌12日目の対戦相手はこの場所がカド番の大関琴奨菊。すでに7敗を喫しており、大関の地位を維持するにはもう一番も負けられないという瀬戸際に立たされていた。琴奨菊とは同じ二所ノ関一門同士で10年以上も一緒に稽古をしてきた仲であり、巡業などではよく声を掛けてくれる優しい兄弟子だった。
土俵に上がればそんなことは関係ないのは百も承知。自身も勝ち越しまであと2勝という状況だった。
「みんな、菊関に大関でいてほしいと思っている。でも、どうしようもない。自分にも応援してくれている人がいる」
非情なめぐり合わせだが、どこかで気持ちに踏ん切りをつけなくてはならない。土俵上で淡々と仕切りを続ける崖っぷちの大関からは「堂々と来い。こっちも堂々といくから」と言わんばかりのオーラを感じた。取組が発表されて以降、あれこれ逡巡していたが、やがてある一つの思いに至った。
「結果より内容が大事。誰が見てもはっきりと勝ちだと分かる相撲で勝とう」
得意の右のど輪を炸裂させた玉鷲
物言いがつくような微妙な相撲で勝っても相手にいらぬ未練を残しかねない。腹は決まった。
行司の軍配が返ると琴奨菊が突っかけて“待った”。気合いはさらに高まった。2度目の立ち合いは両者ピッタリの呼吸で立ち上がった。と同時に得意の右のど輪を炸裂させた玉鷲は、そのまま一方的にカド番大関を押し出した。その瞬間「今まで考えちゃいけないと思っていたことが一気に来た」。抑え込んでいた情が堰を切りそうになったのもつかの間、32場所務めた大関から陥落が決まった敗者の表情が視界に入ると、どこか清々しい思いも湧いてきた。
「言葉では表せないようなことを心と心で話した感じでした」
3秒余での決着。その刹那、両者は紛れもなくただ純粋に勝負に徹したのだった。