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玉鷲に聞く 「カド番大関」「すでに7敗」の兄弟子・琴奨菊に勝ったとき何を思ったか
posted2021/01/18 11:00
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph by
Sankei Shimbun
相撲は一瞬のスポーツである。実力以上にわずかな心の隙や迷いが勝負を左右することも少なくない。目の前の一番に勝てば勝ち越し、三賞、優勝、昇進……。力士はそんな雑念を振り払って土俵に上がろうとするが、これがそう簡単にはいかない。
現在、幕内で活躍する玉鷲も幕下時代、優勝が懸かった一番を前に「トイレに15回くらい行った」というほどの極度の緊張に襲われたこともある。
だが、入門から15年、34歳にして初賜盃を抱いた2019年初場所。勝てば優勝という千秋楽の遠藤戦は、全く緊張しなかったという。過去13戦全敗の横綱白鵬、強敵の碧山をことごとく撃破して勢いに乗っていたのもあったが、それだけではなかった。
「その日は朝から忙しかったから(笑)」
実は当日早朝に夫人が第2子を出産。玉鷲自身も病院に駆けつけるなど、朝から慌ただしかった。いざ、土俵に上がると驚くほど冷静な自分がいた。遠藤を難なく突き落としてこの日は二重の喜びに浸った。
「あなたがそんな気持ちでどうするの」
メンタルはそんなに強くないと玉鷲自身は言う。対峙する相手が痛々しくテーピングやサポーターを巻いている姿を見ただけで、あれこれと考えてしまうのが常だった。
「向こうも土俵に立っているってことは万全だからでしょ。あなたがそんな気持ちでどうするの」という夫人の言葉にハッとさせられたこともあった。気づいたことは何でも言ってくれたり、不安に耳を傾けてくれる人がいつもそばにいるのは心強かった。
「結婚してから意識が変わりましたね」
それでも、何とも言えない割り切れない思いを抱えたまま迎えた一番があった。