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《衝撃の箱根駅伝》往路12位…優勝候補・青学大に何が起きたのか? 「大失速につながった」3つのミス
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byNanae Suzuki
posted2021/01/02 19:00
優勝候補筆頭と言われた青山学院大学だったが、まさかの往路12位に沈んだ
しかし、湯原は澱んだ流れを盛り返すことができなかった。
2位争いをしていた東海大、日体大、創価大、東洋大が競い合ってタイムを上げていく中、湯原は藤沢ポイントで11位に押し上げるのが精いっぱいだった。2区で順位が落ちた場合、3区でタイムを拾う戦術だったが、この2区間が落ちた。
なぜ3区に「主将・神林」がいなかったのか?
レースを見ていて思ったのは、なぜ3区に神林勇太(4年)を投入しなかったのか、という疑問だ。今回の箱根駅伝は、かつてないほど高速レースになるだろうと予想されていたはず。
「1区、2区で出遅れると、それが致命傷になる」
大会前に原監督自身もそう語っていたし、駒大、東海大、東洋大、早大ら優勝を狙う強豪校は、往路区間に惜しみなくエースを投入してきた。だが、青学大の往路区間に神林の名前はなかった。
そのことについてレース後、原監督はその理由をこう説明してくれた。
「本当は3区に神林を予定していたのですが、先月28日に右臀部に疲労骨折が判明し、湯原を入れることになったんです」
神林は主将であり、チームの軸であり、精神的な支柱だった。全日本大学駅伝では7区区間賞の走りでチームをトップに押し上げ、吉田に繋いだ。吉田が東海大・駒大・明大に抜かれ、優勝を逃してショックを受けていた時は神林が中心になって4年生が吉田の部屋に行き、励まし、立ち直らせた。後輩の面倒見もよく、チームを引っ張ってきた。
その神林が走れなくなったチームの動揺は計り知れない。
もちろん、チーム内には「神林のために」という気持ちもあっただろう。だが、現実には“神林が後ろにいるから思い切り走れる”というポジティブな気持ちが失われ、逆に選手は「失敗はできない」と緊張し、追いつめられた中で走ることになった。おそらく往路の選手のメンタルは、相当センシティブになっていたはずだ。実際、3区の湯原は余裕がなく、切羽詰まって走っているように見えた。
「1年間、神林がチームを引っ張ってくれた。支えがなくなった時にそれを挽回するだけの体力と精神力ができていなかった。神林にすべて頼っていたのかなというのが往路を終えての反省です」
原監督はそう語ったが、トドメは5区だった。