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少年院を出た18歳の朝倉未来はなぜ総合格闘技の道に入ったのか…弟・海との“伝説のスパーリング”もその時に

posted2020/12/27 11:04

 
少年院を出た18歳の朝倉未来はなぜ総合格闘技の道に入ったのか…弟・海との“伝説のスパーリング”もその時に<Number Web> photograph by ©RIZIN FF/Sachiko HOTAKA

朝倉未来は弟・朝倉海が格闘家になった経緯についても詳細に記している

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朝倉未来

朝倉未来Mikuru Asakura

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©RIZIN FF/Sachiko HOTAKA

格闘家であり、YouTuber。朝倉未来はどちらの道でもトップに上り詰めた日本の格闘技界を牽引する存在だ。彼はどんな青年時代を送り、“路上の伝説”と呼ばれる存在になったのか(全2回の2回目/#1はこちら)。
※本稿は『路上の伝説』(KADOKAWA)の一部を抜粋、再編集したものです。

 2011年8月。

 俺は少年院を出た。

 18歳になっていた。 

 迎えに来てくれた母親の車で豊橋に帰った。

 少年院の中でさんざん受けた交通マナーの研修のせいで、母親の運転が危険で恐ろしいと思うほどに価値観が変わっていた。

 自分の体が健康になっていただけでなく、考え方にも大きな変化があったのだ。

「俺、ここに出てる奴ら、全然勝てるわ。弱いよね」

 さて、地元に帰り着くと、その足で岡くんの家に向かった。

「岡くんが格闘技の試合に出るって聞いたんだけど、それって本当なの?」

「そうだよ」

「あと、手紙とかで聞いてたけど、アウトサイダーって何?」

「ほら、これ」

 そう言って見せられたのが、THE OUTSIDERの試合を収めたDVDだった。

 その映像を見て、俺は「うわ、凄いじゃん」と思った。

 不良たちが輝いていた。

 全国から集まった、腕に覚えのある喧嘩自慢たちが、そこで鎬を削っていた。

 それこそ、身体にタトゥーを彫り込んだ不良たちが、リング上で決闘をしていた。

 喧嘩の延長のような戦いが、そこには繰り広げられていた。

 そしてそこで勝ったものは、栄光のスポットライトを浴びていた。

 その代表格は、例えば吉永啓之輔。

 一地方の暴走族に過ぎなかった男が、華麗な関節技で対戦相手を屠り、このTHE OUTSIDERという大会自体を象徴するような脚光を浴びていた。

 付いた二つ名は"格闘彫師"。

 背中に入った彫り物も、外の世界ではアウトローの証拠のようなものだったが、このリング上では英雄の印のようになっていた。

 そこでは、俺がやろうとしていたことが現実になっていた。

 街を訪ねて暴走族を潰して、いずれ全国制覇する、なんてことを言っていたが、それがこのリングでならすぐに実現可能なんだ、と思わされた。

 ここに全国の腕自慢が集まってくるなら、俺だって出たい。

 そこで俺の強さを証明したい。

 それに、ここで戦っている不良たちは輝いていたが、そこの誰よりも俺の方が強い、と思ったのだ。

「俺、ここに出てる奴ら、全然勝てるわ。弱いよね」

「いやいや、弱くないでしょ。じゃあ、出てみようよ」

「うん」

 そこで、すぐその場で岡くんに写真を撮ってもらい、履歴書を作ってTHE OUTSIDERに応募したのだ。

【次ページ】 意気込んで応募した1回目は落選した

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