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マラドーナVS日本代表 原博実が語る“幼稚園児扱い”「『おいでおいで』って来させてキュッと逆を…」
text by
いとうやまねYamane Ito
photograph byJIJI PRESS
posted2020/12/20 17:03
1988年8月12日、ゼロックス・スーパーサッカー日本代表vsナポリでフリーキックを蹴るマラドーナ(国立競技場)
後ろから近づくのが見えちゃっているのかな
後ろから近づくのが見えちゃっているのかな。見ている感じはまったくないんですよ。でも行くと逆を取られる。そこらへんがもう信じられなかったです。足音なんだか、気配を察知するのか。
それで抜けたと思ったらヒールキックでキュンって違う人に出している。そこでヒールキックかよ。しかも味方がそこにいるのまで見てんのかよと。
驚きの連続で、やりながらも自分の頭の中にあるサッカーのイメージが全く追いついて行かないっていう感じでした。
――試合は1月中旬でしたが、代表メンバーのコンディションは?
天皇杯で負けたチームの代表選手が、先に集まって練習していた記憶があります。東京近辺の選手は駒場東大だかに集まって。決勝に進んだチームは元日まで試合がありますからね。
あとは自主トレです。正月に田舎の中学校の校庭で走っていました。
そんな感じで試合の1週間前に合わせるのだから、適当っちゃあ適当です。
やっていてすごく楽しかったのを覚えている
――1試合目は1-1、2試合目は日本が2点先取します。木村和司さんの素晴らしいフリーキックと野村貢さんのゴール。その後3失点しています。3試合目はマラドーナの強烈なミドルシュートが決まり0-1でした。
まあ勝てなかったね。それよりも、やっていてすごく楽しかったのを覚えています。「あいつやっぱり化け物だね」って言っていましたよ。マラドーナのユニフォーム、みんなが交換したがって、結局鋼管の田中孝司さんが貰っていたかな。いいな~って思いました。FWの僕とかが替えてくれって言えないですし、ポジション的に。
僕は23歳でマラドーナは2つ下なので21歳だったかな。ちょっと桁が違いましたね。特に同じようなポジションの和司だとか金田さんとかは、マラドーナのああいったプレーがどこかヒントになって、その後にも活かしていたんだろうなって。僕なんてぜんぜん違うタイプだからなかったけど。
その後、バルセロナに移籍したりナポリに行ったりしても注目していましたよ。一緒にやったんだよな、試合やったよなって感じで。ヨーロッパでも桁違いにすごかったじゃないですか。
――当時ミランは、アリゴ・サッキが最新の戦術を駆使していて。でもマラドーナだけはそれを突破していました。
僕もテレビで見ていたけど、マラドーナがヨーロッパのモダンなスタイルを1人で打開してっちゃうっていう、それは痛快でしたね。対極の戦い方みたいで。