濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
那須川天心、裕樹の引退試合での神のように強く“人間”らしい姿「君のお父さんは最高のファイターだよ」
posted2020/11/05 17:01
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Susumu Nagao
那須川天心はキックボクシング界の“ラスボス”である。ほかならぬ本人にその自覚がある。
対戦相手の誰もが“打倒・天心”を掲げて挑んでくる。那須川は常に狙われる側だ。42の勝利を積み上げてなお、勝つ喜びは今が一番大きいと言う。
ライバルたちとの競争を勝ち抜き、ファンの期待を背負って、人生最大の大一番に臨む。コンディションもモチベーションも最高潮。那須川はそんな相手と毎回闘って勝ち続けているのだ。1勝の価値は重くなる一方。だから喜びも増すのだと言う。彼は“倒されないラスボスから見た物語”を生き、挑戦者には主人公の座を譲らない。
11月1日、ホームリングであるRISEのビッグマッチ、エディオンアリーナ大阪大会では裕樹と対戦した。このリングで3階級制覇を達成した“ミスターRISE”と呼ばれるベテランは今回が引退試合。最後の相手として那須川との対戦を望んだ。
「尊敬と感謝を込めて倒しにいきます」
那須川がRISEのアマチュア大会で優勝した時、すでに裕樹はプロのトップ選手だった。「裕樹さんとの思い出はたくさんあります」と那須川。進んで闘いたい相手ではなかった。しかし断る理由もない。スーパーライト級・65kgのベルトを持つ裕樹は、自ら58kg契約での試合を求めた。昨年、那須川がワールドシリーズトーナメントで優勝した体重だ。そこにも裕樹の覚悟が表れていた。
「裕樹さんはRISEを引っ張ってくれた人。尊敬と感謝を込めて倒しにいきます」
試合が決まってから、那須川はそう言い続けた。同時に「これは自分の物語」だとも。“裕樹の最後の対戦相手”“介錯人”で終わるつもりはないということだ。
特別な試合に、裕樹は入場曲を変えてきた。中島みゆきの『倒木の敗者復活戦』。対する那須川はいつも通り矢沢永吉の『止まらないHA~HA』。曲だけでなく表情もいつもと変わらない。つまり気合いと緊張感に満ちており、気負いも感傷もない。その精神性に、まずは驚かされた、誰が相手でも試合に臨む姿勢に一切のブレがないのだ。プレス席で記者仲間が言った。
「たまには油断したりとか、そういうことがないんですかねこの選手は……」