ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
鈴木みのる、神宮での拍手と文体への惜別。「ゴミクズみたいな横浜文化体育館! 寂しいじゃねえか」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEtsuo Hara/Getty Images
posted2020/09/05 11:30
8月29日、SUMMER STRUGGLE in JINGUで激闘を繰り広げた鈴木みのる(右)と鷹木信悟。大きな拍手に包まれた鈴木の道は横浜文体と深く結びついていた。
思いが詰まった横浜文体出場を宣言!
鈴木の夏は、これだけでは終わらなかった。新日本の神宮球場大会と同日で開催されていた大日本プロレスの横浜文化体育館2連戦初日、鈴木は休憩中のビジョンの映像でサプライズ登場。翌日の8.30横浜文体出場を宣言し、大日本若手のホープである野村卓矢との対戦が電撃的に発表されたのだ。
この大会は、取り壊しが決まっている横浜文化体育館での最後のプロレス興行。鈴木は、自身にとっても思い入れが深いこの会場の最後の大会だからこそ出場し、若い野村とも真っ向勝負を展開し、ナメることなく必殺のゴッチ式パイルドライバーで完勝した。
以前、鈴木にインタビューした際、横浜文化体育館への思いを次のように語っていた。
「一番思い出深い会場だよね」
「俺が初めてプロレスを観に行った会場が横浜文体だし、初めてアマチュアレスリングの試合に出たのも横浜文体。で、新日本でデビューしたのも横浜文体だし、新日本を退団する最後の試合も横浜文体だからね。そして時が経って、パンクラスで地元凱旋興行をやって、(ケン・)シャムロックに初めて勝ったのも横浜文体だから。また『鈴木は横浜が地元だから』ってことで、団体側もそういうカードを組むのかもしれないし。だから新日本のG1に出れば、いつも横浜文体ではメインだったりとか。やっぱり一番思い出深い会場だよね。
あそこは今となっては数少ない、昭和の匂いがする会場だよ。デビュー戦をやったときのことはよく憶えてる。会場の一番端っこの一角に、俺の応援団が来ていたんだ。売れないチケットを300枚あてがわれて、そこを一生懸命売ったから。地元だしさ、こっちも必死だもん。押し売りみたいなもんだよ(笑)」