草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
甲子園でもらったウイニングボール。
牛島和彦と仁村徹、いまも続く友情。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2020/08/13 19:00
1979年夏、浪商の牛島(右)は2点を追いかける9回に上尾・仁村から同点ホームラン。延長の末、浪商に軍配が上がった。
正真正銘のウイニングボール。
真夏の死闘から5年と2カ月後。1984年10月5日に、仁村は再び、いや今度こそ正真正銘のウイニングボールを、牛島から受け取る。
劣勢の阪神戦でプロ初登板。7回途中にマウンドに上がると、8回に3ランが出て1点差。その裏も抑えると、9回には逆転した。その裏に登板したのがリリーフエースの牛島。度胸満点の右腕をして「今までで一番緊張しました」と言わしめた。「打たれたら一生、頭が上がらなくなりますから」と貫禄の三者凡退。かつてのライバルの初勝利を、自らもセーブでアシスト。シーズン最終戦だったこの試合であげた29セーブが、キャリアハイとなった。
通算820安打、67本塁打。勝負強い打撃でオールドファンの記憶に残る仁村だが、入団時は投手だった。ただし一軍での実績はこの1試合のみ。勝率10割、防御率0.00である。
現在の仁村は中日の二軍監督として石川昂弥や根尾昂といった期待の若手の育成に努めている。上尾の主将だった福田は仁村と同じ東洋大に進んだ後、故郷の群馬に帰り、指導者の道を歩んでいる。桐生一の監督として甲子園へは春5度、夏9度出場。自分たちが敗退してから20年後の第81回大会では深紅の優勝旗をつかみ取っている。現在も利根商の監督として球児と向き合う毎日だ。
牛島は通算53勝、126セーブ。タイトルホルダーにもなった輝かしい投手人生だったが、打者としては通算1本塁打。その1本は仁村が入団した1984年に放っている。現在も野球解説者として活躍中。来年、還暦を迎える今も、仁村との友情は続いている。