草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
甲子園でもらったウイニングボール。
牛島和彦と仁村徹、いまも続く友情。
posted2020/08/13 19:00
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
今年の「夏」は地方大会ではなく独自大会。甲子園ではなく交流試合。偽物ではないが、どこかに「代わりに用意された品物」の香りがする。少しサイズが違う。色が違う。わかってはいる。それで折り合いをつけなければならないことを。気づいてもいる。この先も困難は続くであろうことを。
7イニング制だった県もあるし、最初からベスト8で打ち切りと決めていた県もある。独自という言葉には、そんな意味も含まれている。しかし1度きりの夏。独自大会だろうが交流試合だろうが、勝敗に全力を注ぐ。その一方で、学校によっては3年生部員全員が一度はグラウンドに立てるよう、配慮した。
1979年夏、1回戦屈指の好カード。
Number1008号では『甲子園 一敗の輝き』として、今年も高校野球を特集した。名勝負として語り継がれる試合には、必ずグッドルーザーが存在する。誌面に紹介された敗者は1980から2020年までだった。
筆者の脳裏に刻まれた誇り高き敗者は1979年、第61回大会の上尾(埼玉)である。昭和でいえば54年。深紅の優勝旗は箕島(和歌山)が春の紫紺に続いて獲得。滋賀県勢(比叡山)が47都道府県で最後の初勝利を記録した。また、箕島は3回戦で星稜(石川)を延長18回の死闘の末、振り切っている。
箕島と星稜が戦う1週間前、上尾は浪商(現大体大浪商、大阪)と対戦した。
1回戦屈指の好カードと言われていた。浪商は牛島和彦、香川伸行の超高校級バッテリーを擁し、その年のセンバツの準優勝校。上尾はアンダースローのエース・仁村徹と主将の福田治男を中心に、埼玉を制した。序盤から投手戦になったのは予想通りだったが、主導権を握ったのは上尾だった。